はじめに:これまでの「常識」は本当に正しかったのか?
運動中や運動前の糖質(Carbohydrate:CHO)摂取は、長年にわたり
「筋グリコーゲンを満たすことが、持久力やパフォーマンスの決定因子」
と教えられてきました。
しかし2026年1月に Endocrine Reviews に掲載された、
Timothy D. Noakes らによる包括的レビューは、
この“教科書的理解”を根底から問い直します。
結論を先に:この論文が示した最重要ポイント
このレビューが導いた結論は、極めてシンプルです。
糖質摂取の最大の意義は、筋グリコーゲン補充ではなく「運動誘発性低血糖(EIH)」を防ぐことにある
これだけで、スポーツ栄養の歴史を半分書き換えるインパクトがあります。
1. 運動中に起きる「本当の限界」とは何か?
従来の仮説:筋グリコーゲン枯渇=疲労
1960年代に**筋生検(needle biopsy)**が導入され、
「運動後に筋グリコーゲンが減っている」
という事実が確認されました。
そこから、
グリコーゲンがなくなる
ATPが作れなくなる
筋が動かなくなる
疲労が起きる
という “エネルギー枯渇仮説(Energy Crisis Hypothesis)” が生まれます。
新しい視点:本当に筋は「動けなくなっている」のか?
Noakesらは、160以上の研究を精査し、こう指摘します。
筋グリコーゲンが枯渇しても
筋硬直(rigor)は起きない
ATP濃度も保たれている
それでも人は「もう続けられない」と感じて運動を止める
👉 つまり疲労は、筋の破綻ではなく「中枢(脳)」が止めている可能性が高い
2. 真犯人は「運動誘発性低血糖(EIH)」
EIH(Exercise-Induced Hypoglycemia)とは?
長時間・中強度以上の運動中
肝臓からの糖供給が追いつかず
血糖値が著しく低下する状態
多くの研究で、運動終了時の血糖値は3.6 mmol/L以下に達しています。
これは
👉 臨床的低血糖の診断域
驚くべき事実①
運動終了とEIHは強く相関する
筋グリコーゲン量:相関は弱い
血糖低下(EIH):相関が非常に強い
👉「これ以上続けると脳が危ない」という
脳の防御反応としての疲労 が浮かび上がります。
3. 糖質摂取の「本当の作用機序」
よくある誤解
❌「運動中に糖を摂る → 筋グリコーゲンが増える」
実際に起きていること
✅ 糖質摂取 → 肝臓の糖放出が抑えられる
外から糖が入る
肝グリコーゲン分解が抑制される
血糖が安定する
一方で驚くべきことに、
筋グリコーゲンの分解は、むしろ加速する
これは中枢神経・ホルモン制御による
“保護的な代謝再配分” と考えられています。
4. 高脂肪適応アスリートが示す「反証」
高脂肪・低糖質(LCHF)適応者の特徴
筋グリコーゲン:少ない
糖質酸化:少ない
脂肪酸化:極めて高い(1.5 g/min超)
それでも、
👉 運動パフォーマンスは同等
ここから導かれる事実
糖質は「必須燃料」ではない
高強度でも脂肪は十分使える
問題は「燃料の種類」ではなく「血糖の維持」
5. 糖質摂取量はどれくらいが最適か?
従来の推奨
60〜90 g/時
場合によっては120 g/時
本レビューの結論
15〜30 g/時で十分
理由は明確です。
それ以上摂っても
血糖安定効果は頭打ち
パフォーマンス改善は起きない
👉 量ではなく「低血糖を防げるか」が本質
6. 肝グリコーゲンの重要性が再評価される
筋よりも大事なのは「肝臓」
筋グリコーゲン:局所燃料
肝グリコーゲン:全身(特に脳)を守る
運動中の血糖維持は
👉 肝臓の糖新生・糖放出能力に依存
EIHを起こしやすい人
長時間運動
低糖質食直後
肝糖新生能が低い人
トレーニング不足
栄養不足
代謝疾患背景
7. スポーツ栄養ガイドラインへの影響
この論文が示す方向性は明確です。
一律の高糖質推奨 ❌
個別化された血糖重視戦略 ⭕
実践的には
普段は高糖質でも低糖質でもよい
運動中は
低用量糖質で
血糖低下を防ぐ
👉 「糖質=燃料」から「糖質=脳保護」へ
【まとめ】
疲労の主因は「筋」ではなく「脳」
糖質摂取の本質は「低血糖防止」
肝グリコーゲンが鍵
必要な糖質量は最小限でよい
高脂肪適応でもパフォーマンスは維持可能
最後に(臨床・指導への応用)
このレビューは、
糖尿病患者の運動指導
持久系アスリートの補給設計
低糖質食と運動の両立
すべてにおいて、**「血糖をどう守るか」**という
新しい共通軸を与えてくれます。
運動の限界を決めているのは、筋肉ではなく“脳の安全装置”である
これは、スポーツ栄養学における
静かですが決定的なパラダイムシフトです。
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