『暇と退屈の倫理学』を読み終えた。
長かった。正直、途中で何度も「結論を早く言ってくれ」と思った(笑)。
ハイデガー、ルソー、ユクスキュル、コジェーヴ、スピノザ……。かなり遠回りする本だったけれど、最後まで読んでみると、自分の中にいくつか残ったものがあった。
その中でも一番大きかったのは、
退屈は、そんなに悪いものではない。
ということだった。
人間は、退屈する生き物
暇になると、なんとなく落ち着かない。
スマホを見る。
動画を見る。
何か食べる。
買い物する。
予定を入れる。
「何もしない」という状態が、意外と難しい。
でもこの本を読んでいると、そもそも人間にとって退屈はかなり自然なものなのだと思えてくる。
人間は、一つの世界だけに閉じ込められているわけではない。
本を読んだり、ゲームをしたり、旅行したり、スポーツを観たり、誰かと話したり。
いろいろな「環世界」を行ったり来たりできる。
これは自由でもある。
でも同時に、
「ここじゃなくてもいい」
「他にもっと面白いものがあるかもしれない」
と思えるからこそ、今いる場所に退屈することもできる。
自由と退屈は、案外セットなのかもしれない。
退屈を全部埋めなくていい
問題は、退屈そのものより、
「退屈してはいけない」
と思ってしまうことなのだろう。
退屈すると、すぐに刺激を探す。
そして現代には、その刺激がいくらでも用意されている。
「次はこれが面白いですよ」
「これを買えば楽しいですよ」
「ここへ行けば幸せですよ」
広告やSNSを開けば、答えが次々に出てくる。
退屈する。
何かを買う。
少し満たされる。
慣れる。
また退屈する。
また次を探す。
これを繰り返していると、終わりがない。
退屈まで商品になっている。
そんな見方は、なかなか面白かった。
「刺激を増やす」より「楽しむ力を育てる」
では、どうすればいいのか。
この本で一番好きだったのは、
もっと刺激を増やすのではなく、今あるものを楽しめる能力を育てる
という考え方だった。
たとえばサッカー。
なんとなく観ていても楽しいけれど、オフサイドを知り、選手を知り、戦術が少し分かるようになると、同じ90分でも見えるものが増えてくる。
ゲームでも同じだ。
ただクリアするだけではなく、
「このアイテムはどうやって取るんだろう」
「このシステムはどうなっているんだろう」
と調べ始めると、世界がどんどん深くなる。
旅行もそう。
有名な場所を次々に回るだけでなく、その土地の歴史や地形、温泉、食文化を少し知ってから行くと、同じ景色から受け取れるものが増える。
哲学だってそうだ。
分からない言葉を調べる。
誰かと話す。
自分の経験に当てはめて考える。
すると最初は意味不明だった文章が、突然、自分の生活とつながることがある。
知ることで、楽しめるものが増える。
これはなかなかいい。
「生きがい」を無理に探さなくていい
そしてもう一つ。
何かに夢中になるときというのは、意外と最初から計画していない。
「これを一生の趣味にしよう」
なんて決めて始めることは、むしろ少ない。
たまたま触れて、
「なんだこれ?」
と思う。
少し調べる。
さらに面白くなる。
気づいたら、ずっと考えている。
そうやって、いつの間にか何かに捕まっている。
だから「生きがい」を必死に探す必要もないのかもしれない。
好奇心の向く方へ少し動いてみる。
それくらいでいい。
面白ければ深掘りする。
飽きたら離れる。
また何か気になったら触ってみる。
その中で、ときどき自然に没頭するものが現れる。
退屈と気晴らしを往復して生きる
結局、この本から自分に一番残ったのは、とても肩の力が抜けた考え方だった。
暇があっていい。
退屈していい。
適当に気晴らししていい。
ゲームしてもいい。
散歩してもいい。
旅行の計画を立ててもいい。
本を読んでもいい。
何もしなくてもいい。
そして、何か面白いものに出会ったら、少し深く味わってみる。
ずっと充実している必要もないし、ずっと何かに夢中でいる必要もない。
退屈する。
気晴らしする。
何かに夢中になる。
また飽きる。
また退屈する。
その往復でいいのだと思う。
むしろ、それが人間らしいのかもしれない。
余白があるから、世界を味わえる
そのために大切なのは、やはり余白なのだと思う。
予定を詰め込みすぎない。
何かを達成することばかり考えない。
「時間を有効活用しなければ」と焦らない。
暇があるから、偶然目に入ったものに引っかかれる。
退屈するから、
「ちょっとこれ調べてみようかな」
という余地が生まれる。
そして、その小さな好奇心から新しい世界が開くことがある。
だから余白とは、何もない時間ではない。
まだ何が始まるか分からない時間
なのだろう。
『暇と退屈の倫理学』を読んで、最後に残ったのはこんな感じだった。
退屈はなくさなくていい。
暇を恐れず、気晴らしを楽しみ、自分が好きなものを少し深く味わう。
ときどき何かに夢中になり、また退屈に戻る。
その往復を、肩肘張らずに生きればいい。
それくらいが、ちょうどいい。


