2026/09/08

健康講座1058 マンジャロを希望される方へ 当院の保険診療とゼップバウンドについて

 



今回この文章を書こうと思ったのは、時々、「マンジャロを打ちたい」という理由で受診される方がお見えになるからです。

体重を減らすことは、医学的に意味のある治療になる場合があります。肥満や肥満症の方では、体重を減らすことで血糖値、血圧、脂質異常症、脂肪肝、睡眠時無呼吸症候群などが改善することがあります。

一方で、日本の保険診療は、患者さんと医師が希望すれば、どの薬でも自由に使えるという仕組みではありません。薬ごとに承認された病気や使用条件があり、健康保険で使用する場合には、国が定めたルールに沿って診療を行う必要があります。

当院では、現時点で自費診療によるマンジャロやゼップバウンドの処方は行っていません。

そのため、「とにかく体重を減らしたい」「糖尿病かどうかに関係なく、すぐにマンジャロを始めたい」という目的で受診された場合、ご希望に沿えない可能性があります。

せっかく時間をつくって受診していただいたのに、「当院では処方できません」となってしまうのは、患者さんにとっても残念なことですし、私たちとしても申し訳なく感じます。

どちらが悪いということではなく、患者さんは「すぐに注射を始められる」と思って受診し、当院は「糖尿病の検査と治療を相談するための受診」と考えている。そのような行き違いが起きてしまうことがあります。

こうしたミスマッチや無駄足をできるだけ避けるために、あらかじめ当院の考え方をお伝えしておきたいと思い、このページを作成しました。

マンジャロとはどのような薬ですか?

マンジャロは、一般名をチルゼパチドという注射薬です。

GIPとGLP-1という2種類のホルモンの働きを利用して、血糖値が高いときのインスリン分泌を助けます。また、食欲や胃の動きにも影響するため、治療中に体重が減少することがあります。

通常は、週1回、自分で皮下注射します。

ただし、マンジャロは「誰でも体重を減らすために使える注射」ではありません。日本でマンジャロが承認されている病気は、2型糖尿病です。添付文書にも、食事療法や運動療法を行ったうえで、効果が十分でない場合に使用を検討する薬と記載されています。(マンジャロ電子添文・PMDA)

そのため当院では、2型糖尿病の治療の一部として必要性がある場合に、マンジャロを使用することがあります。

患者さんから「マンジャロを使いたい」と希望されたから処方する、という薬ではありません。血糖値、HbA1c、体重、腎機能、現在の治療内容、食事や運動の状況などを確認したうえで、治療の選択肢になるかどうかを判断します。

マンジャロとゼップバウンドは何が違うのでしょうか?

ゼップバウンドも、マンジャロと同じチルゼパチドを有効成分とする薬です。

薬の成分は同じですが、承認された目的が違います。

マンジャロは、2型糖尿病の治療薬です。

一方、ゼップバウンドは、肥満症の治療薬として承認されています。2026年5月からは、中等症以上の閉塞性睡眠時無呼吸症候群に対する適応も追加されました。(ゼップバウンド電子添文・PMDA)

同じ成分だからといって、マンジャロとゼップバウンドを自由に使い分けられるわけではありません。

薬の名前が分かれているのは、「どの病気に対して使う薬なのか」が違うためです。保険診療では、薬の成分だけでなく、病名、適応条件、治療の経過、医療機関の施設要件なども関係します。

当院を受診された場合は、まず糖尿病の有無を確認します

「マンジャロを打ちたい」という理由で初めて受診された場合、まず行うのは、マンジャロの処方ではありません。

最初に、糖尿病があるのかどうかを確認します。

これまでの健診結果や治療歴を確認し、必要に応じて血糖値、HbA1c、脂質、腎機能などの検査を行います。状況によっては、再検査や75g経口ブドウ糖負荷試験を行うこともあります。

糖尿病の診断は、HbA1cの数字だけで単純に決まるものではありません。血糖値、HbA1c、症状、過去の検査結果などを組み合わせて判断します。

検査の結果、2型糖尿病と診断され、マンジャロが治療上適切と判断された場合には、保険診療の中で使用を検討します。

反対に、糖尿病がない場合、当院ではマンジャロを体重減少目的で処方することはできません。

つまり、当院では「マンジャロを希望して受診したら、まず糖尿病があるかどうかを確認する」という流れになります。

糖尿病がない場合は、ゼップバウンドという選択肢があります

糖尿病ではない方でも、肥満症に該当し、一定の条件を満たす場合には、ゼップバウンドが治療の選択肢になることがあります。

ただし、単に体重が多い、BMIが高いというだけでは十分ではありません。

ゼップバウンドの肥満症に対する適応では、高血圧、脂質異常症、耐糖能障害など、肥満に関連する健康上の問題があることが前提になります。

そのうえで、主なBMIの条件は次のとおりです。

  • BMIが27以上で、肥満に関連する健康障害が2つ以上ある場合

  • BMIが35以上の場合

ここで注意していただきたいのは、ゼップバウンドの大きなBMIの区切りは「27」と「35」であり、「30」ではないということです。

日本では、一般にBMI25以上を「肥満」と判定します。しかし、BMI25以上だからといって、すぐにゼップバウンドの対象になるわけではありません。

肥満に関連する健康障害には、耐糖能障害、脂質異常症、高血圧、高尿酸血症・痛風、脂肪肝、睡眠時無呼吸症候群、運動器疾患、肥満関連腎臓病などがあります。

「耐糖能異常」はどのように判断するのでしょうか?

2026年5月から、ゼップバウンドの承認内容に「耐糖能異常等」が加わりました。

耐糖能異常とは、糖尿病の診断基準までは達していないものの、血糖値が正常より高く、糖尿病に近い状態を指します。

空腹時血糖や75g経口ブドウ糖負荷試験の2時間値などを用いて判断します。目安として、空腹時血糖110〜125mg/dL、75g経口ブドウ糖負荷試験の2時間値140〜199mg/dLなどが該当することがあります。

ただし、血糖値が一度高かっただけで、すぐに耐糖能異常と決まるわけではありません。検査の条件や再検査の結果などを含めて、医師が総合的に判断します。

また、耐糖能異常があるというだけで、ゼップバウンドが保険で使えるわけでもありません。

現時点の保険診療では、少なくとも高血圧、脂質異常症、2型糖尿病のいずれかが診断され、適切な治療が行われていることが必要です。

耐糖能異常は、肥満に関連する健康障害の一つとして数えられることがありますが、耐糖能異常だけで保険適用になるわけではありません。(厚生労働省通知)

ゼップバウンドは、すぐに始められる薬ではありません

ゼップバウンドを肥満症に対して保険で使用する場合、薬を始める前に、食事療法と運動療法を行うことが求められています。

原則として、適切な治療計画に基づく食事療法・運動療法を6か月以上行っても、十分な効果が得られないことが必要です。

その期間中には、少なくとも2か月に1回、管理栄養士による栄養指導を受けることも求められます。

さらに、ゼップバウンドを保険で使用できる医療機関には、専門医の配置、専門的な診療体制、管理栄養士による栄養指導の体制など、一定の施設要件があります。(厚生労働省・最適使用推進ガイドライン)

そのため、ゼップバウンドは、どのクリニックでも簡単に処方できる薬ではありません。クリニックだからできないというより、保険で処方するための条件を満たしている医療機関が限られている、ということです。

当院での対応について

当院では、ゼップバウンドの処方は行っていません。

診察や検査の結果、肥満症に該当し、ゼップバウンドの適応になる可能性があると判断した場合には、必要な施設要件を満たす近隣の医療機関や基幹病院へ紹介することがあります。

ただし、紹介したからといって、すぐにゼップバウンドを開始できるわけではありません。

6か月以上の食事療法・運動療法や、管理栄養士による栄養指導の記録が必要になるためです。これまでの治療記録がある場合には、その内容を確認したうえで、紹介先の医療機関で判断されます。

ですから、「今日受診して、今日から何でもいいので注射を始めたい」という場合、当院では対応できません。

マンジャロについても、糖尿病がなければ、当院の保険診療では処方できません。

自費診療を希望される方へ

保険診療の条件に該当しなくても、自費診療でマンジャロやゼップバウンドを扱っている医療機関はあります。

ただし、当院では自費診療を行っていないため、具体的にどの医療機関で対応しているかについては、ご案内することができません。

自費診療を希望される場合は、処方の条件や副作用、検査の必要性、薬をやめた後の方針などを説明してくれる医療機関を、ご自身でお探しください。

最後に

当院がこのような説明をしているのは、マンジャロやゼップバウンドをお断りしたいからではありません。

体重を減らすことが医学的に有益な方はいますし、適切な患者さんにとっては、これらの薬が有効な治療になることもあります。

ただ、当院でできるのは、保険診療のルールに沿った糖尿病の診療と、その中で必要と判断した場合のマンジャロの使用です。

糖尿病がなければ、マンジャロを体重減少目的で処方することはできません。

ゼップバウンドの適応が考えられる場合も、当院では処方せず、対応可能な医療機関への紹介を検討します。ただし、6か月以上の食事療法・運動療法が必要になることがあります。

せっかく来ていただいたのに、ご希望の薬を処方できず、無駄足になってしまう。

そのようなミスマッチを少しでも減らすために、受診前に当院の方針を知っていただきたいと思い、このページを作成しました。

その点をご理解いただいたうえで、糖尿病の有無を調べたい方、健診結果について相談したい方、保険診療の範囲で治療を考えたい方は、ご受診ください。

健康講座1057 アウィクリ®は週1回インスリン。便利だけど、ややこしいので自分用にまとめました

 



アウィクリは、週1回使う基礎インスリンです。
一般名はインスリン イコデク。

毎日打っていた基礎インスリンを、週1回にできる。
これはやっぱり大きなメリットだと思います。

毎日の注射が負担になっている人や、訪問診療・訪問看護を利用している人にとっては、週1回のほうが続けやすい場合があります。

ほかの週1回の注射薬を使っている人なら、曜日をそろえて、注射の予定をまとめられることもあります。

ただ、実際に調べてみると、かなりややこしい。

1日分を7倍する。
初回だけ1.5倍にすることがある。
1クリックが10単位。
ペンには300と700がある。
しかも、間違えると低血糖が長引く可能性がある。

正直、患者さんからすると「もう少し間違えにくくできなかったのかな」と思います。

私自身も間違えそうなので、自分用の備忘録としてまとめました。

週1回が向いていそうな人

アウィクリは、誰にでも向いている薬というより、毎日の基礎インスリンが負担になっている人に向いている薬だと思います。

たとえば、

  • 毎日注射するのが負担になっている

  • 手先が動かしにくい

  • 視力が低下している

  • 認知機能の低下などで、毎日の注射を忘れやすい

  • 注射が怖い、苦手

  • 家族や訪問看護師が注射を確認できる

  • 訪問診療と合わせて、週1回の管理がしやすい

こういう人では、毎日から週1回になることで、本人も介助する側も楽になる可能性があります。

特に在宅医療では、毎日訪問することは難しくても、週1回なら確認や注射の支援がしやすくなります。

ただし、高齢者なら誰でも安心というわけではない

高齢の方は、毎日の自己注射が大変になりやすい一方で、アウィクリ特有の間違いにも注意が必要です。

たとえば、

  • 1クリックを1単位だと思ってしまう

  • 表示された数字を読み間違える

  • すでに打ったことを忘れて、もう一度打ってしまう

  • 300と700の数字を投与量と勘違いする

  • 低血糖になっても、一人では気づきにくい

といったことです。

アウィクリは週1回なので、1回の打ち間違いが、その日のうちに終わらず、数日間影響する可能性があります。

そのため、高齢の方や独居の方では、「週1回だから簡単」と考えるのではなく、

  • 誰が注射するのか

  • 打ったかどうかをどう確認するのか

  • 単位数を毎回どう確認するのか

  • 低血糖時に誰が対応するのか

まで考えて使う必要があります。

高齢だから必ず使えないということではありません。
ただし、本人だけでの管理が難しい場合は、家族や訪問看護師などの確認があったほうが安心です。

1日分を7倍するのは、患者さんが毎回計算するためではない

毎日使っている基礎インスリンから変更する場合は、

これまでの1日量×7

が、週1回の基本量になります。

たとえば、毎日20単位なら、

20単位×7=140単位

です。

ただし、これは医師が切り替え時に計算するための考え方です。

患者さんが毎回、自分で計算するという意味ではありません。
処方された週1回の単位数を、そのままペンに設定します。

毎日8単位だった人が、8×7で56単位になったとしても、50単位にするか60単位にするかを自分で決めるものではありません。

10単位刻みになるため、実際の量は主治医が決めます。

初回の1.5倍は、必ずではない

アウィクリへ切り替えるとき、2型糖尿病では、血糖値が上がるのを防ぐために、初回だけ通常量の1.5倍にする方法があります。

通常量が140単位なら、

  • 1回目:210単位

  • 2回目:140単位

  • 3回目以降:血糖を見ながら調整

という形です。

ただし、初回1.5倍は全員に必須ではありません

高齢の方、低血糖を起こしやすい方、食事が不規則な方、腎機能が低下している方、HbA1cが低めの方などでは、1.5倍にしない方法も考えられます。

特に独居の高齢者では、血糖値だけでなく、打ち間違いの可能性や、低血糖が起きたときに助けを呼べるかどうかも含めて判断することが大切です。

「高齢だから必ず1.5倍にしない」ということではありません。

ただ、1.5倍を機械的に行うのではなく、その人にとって本当に必要かを考える、という意味です。

1.5倍にした場合も、2回目からは通常量に戻します。

初回210単位なら、次は140単位です。
210単位を毎週続けるわけではありません。

ペンの単位が一番ややこしい

アウィクリは高濃度のインスリンです。

でも、濃度を計算し直す必要はありません。

医師から140単位と指示されたら、ペンの表示を140にします。

「700単位/mLだから7で割る」
「1クリック10単位だからクリック数を計算する」

ということはしません。

表示窓の数字を見て、指示された単位数をそのまま設定します。

アウィクリは、1クリックが10単位です。

普通のインスリンペンのように、1クリック=1単位ではありません。

また、ペンには総量300単位のものと、総量700単位のものがあります。

これは1本に入っている薬の総量の違いで、投与する単位数を計算し直すための数字ではありません。

300と700という数字があるだけでも、かなり混乱しやすいと思います。

PMDAの資料でも、アウィクリを毎日打ってしまう、指示された単位数より多く設定してしまう、単位の読み方を間違える、といった投薬ミスが重要な注意点として扱われています。

空打ちはどうするのか

空打ちは、注射の前に毎回行います。

針先まで薬液がきちんと届いているかを確認するための操作です。

手順は、

  1. 新しい針を付ける

  2. ペンの薬の名前を確認する

  3. ダイヤルを10単位に合わせる

  4. 針を上に向けて、空中に押し出す

  5. 針先から薬液が出ることを確認する

  6. そのあと、医師から指示された単位数に合わせる

  7. 皮下注射する

  8. 表示が0になるまで押し、6秒以上待つ

  9. 針を外す

という流れです。

アウィクリでは、空打ち10単位は1クリックです。

ただし、この10単位を実際の投与量に足したり引いたりするわけではありません。

140単位の指示なら、

空打ちを10単位行う

そのあと140単位に設定する

という意味です。

空打ちをして薬液が出ない場合や、ペンの操作がおかしい場合は、自己判断で何度も打たず、医療機関や薬剤師に確認します。

打ち忘れたとき

打ち忘れに気づいたら、気づいた時点で注射します。

ただし、次の注射までは4日以上あけます。

その後は、実際に打った曜日を新しい定期曜日にします。

たとえば、月曜日を忘れて水曜日に打った場合は、次から水曜日に打ちます。

2回分をまとめて打つことはしません。

曜日を変更したい場合も、前回の注射から4日以上あけます。

低血糖は数日後にも注意する

アウィクリは作用が長い薬なので、低血糖が起きた場合に、長引いたり繰り返したりする可能性があります。

注射した当日だけでなく、2〜4日後にも注意が必要です。

冷や汗、手の震え、動悸、強い空腹感、ふらつき、ぼんやりする感じなどがあれば、低血糖の可能性があります。

低血糖になったときの対応は、あらかじめ主治医から教えてもらった方法に従います。

意識がもうろうとしている場合は、無理に飲食させず、救急車を呼びます。

アウィクリを使うなら、こういう形が安心だと思う

アウィクリは、週1回にできるという点では、とても便利な薬です。

毎日注射することが難しい人や、在宅医療を受けている人、家族や訪問看護師が週1回確認できる人には、治療を続けやすくする選択肢になると思います。

一方で、本人が単位を読み間違えやすい、打ったかどうか分からなくなる、低血糖時に一人で対応できない、という場合は、週1回にすることだけを目標にしないほうがよいと思います。

便利さだけでなく、安全に続けられるかどうかが大切です。

私なら、使う前に、

  • 注射する曜日を決める

  • 指示された週1回の単位数を紙に書く

  • 初回と2回目の量を分けて書く

  • 毎回、ペンの表示窓を確認する

  • 空打ちは10単位、1クリックと覚える

  • 打ったらカレンダーに記録する

  • 高齢者や独居の人は、家族や訪問看護師にも確認してもらう

という形にします。

週1回はありがたい。
でも、ややこしいものはややこしい。

300と700、1クリック10単位、初回だけ1.5倍という仕組みは、患者さんにとっては間違いの元になりやすい部分です。

メーカーには、便利さだけでなく、「誰が使っても間違えにくいこと」も、もっと意識してほしいと思います。

それでも、毎日の注射が負担だった人にとって、週1回という選択肢に意味があるのは確かです。

アウィクリは、週1回だから簡単なのではなく、支えてくれる人や確認方法まで含めて使えば、毎日の負担を減らせる薬。

今のところは、そんなふうに考えて使っていこうかなと思っています。

※この記事は自分用の備忘録としてまとめたものです。実際の投与量、初回1.5倍にするかどうか、空打ちや注射方法については、必ず主治医・看護師・薬剤師の説明を確認してください。

参考:

健康講座1056 たった1か月のヴィーガン食で「老化」は変わるのか? DNAメチル化・炎症・mTOR・エピジェネティック時計から読み解く最新研究

 



「食べるものによって、身体はどこまで変わるのでしょうか?」

体重や血糖値、コレステロールが変わることは、比較的イメージしやすいと思います。

しかし近年では、もう一段深いところ――

食事によって遺伝子の“使われ方”そのものが変化するのではないか

という研究が進んでいます。

2026年8月に発表された今回の研究は、まさにそのテーマを調べたものです。

論文タイトルは、

A Vegan Diet Epigenetically Modulates Inflammatory Pathways and Biological Aging: Genome-Wide DNA Methylation Analysis of a One-Month Isocaloric Vegan Versus Meat-Rich Dietary Intervention

日本語にすると、

「ヴィーガン食は炎症経路と生物学的老化をエピジェネティックに調節する:1か月間の等カロリー・ヴィーガン食と肉中心食を比較した全ゲノムDNAメチル化解析」

という内容です。

研究者たちは健康な成人を、

ヴィーガン食

肉を多く含む食事

の2群に分け、1か月後の血液中DNAを詳細に解析しました。

するとヴィーガン食群では、

  • 好中球が減少する方向

  • CD4陽性T細胞が増加

  • mTORやHippoなど細胞増殖関連経路の変化

  • AMPKやインスリンシグナルなどの変化

  • 一部の「生物学的年齢」指標で若年化方向

といった興味深い変化が見られました。

一方で、

「ヴィーガン食を1か月食べれば若返る」

と単純に結論づけられる研究ではありません。

実はこの論文には、

約81万か所のDNAメチル化を調べた主要解析で、多重比較補正後に有意差が残らなかった

という重要な弱点もあります。

さらに「生物学的年齢」を測る複数の時計のうち、

若返る方向に動いたものもあれば、

逆に老化方向へ動いた時計もありました。

今回はこの研究を、

「ヴィーガンはすごい」

「肉は悪い」

という単純な話にせず、

何が分かったのか、どこまで信頼できるのか、どこから先はまだ仮説なのか

を分けながら、できるだけわかりやすく解説していきます。


まず「ヴィーガン食」とは何か?

ヴィーガン食とは基本的に、

肉・魚・卵・乳製品など、動物由来の食品を摂らない食事

を指します。

植物性食品が中心になるため、

  • 野菜

  • 果物

  • 豆類

  • 全粒穀物

  • ナッツ

  • 種子類

などの摂取量が増えやすくなります。

一般的な西洋型食事と比較すると、

食物繊維が多く、

飽和脂肪酸が少なく、

植物由来の抗酸化物質やフィトケミカルが増えやすい

という特徴があります。

ただし、

「ヴィーガン=必ず健康食」ではありません。

砂糖の多い菓子や清涼飲料水、精製された炭水化物、ポテトチップスなども、動物性食品が入っていなければヴィーガン食品になり得ます。

したがって栄養学では、

単にヴィーガンかどうかではなく、

whole-food plant-based diet

つまり、

できるだけ未精製・未加工の植物性食品を中心にしているか

という「食事の質」も重要になります。

今回の研究でも、この点は後ほど重要になってきます。


この研究はどんな研究だったのか?

今回の研究対象となったのは、

健康な成人48人

です。

内訳は、

ヴィーガン食群 24人
肉中心食群 24人

でした。

もともとの臨床試験には53人が参加していましたが、DNA解析に十分な検体が残っていた48人が今回の解析対象になっています。

参加者は18〜60歳の健康な成人で、

  • 慢性疾患

  • 喫煙

  • 定期的な薬物使用

  • 薬物・アルコール乱用

  • すでに菜食をしている人

などは除外されました。

つまり、

もともと健康な一般成人を対象にした研究

です。

糖尿病患者や心血管疾患患者、高齢者を対象とした研究ではありません。


最初の1週間は全員同じ食事

面白いのは研究デザインです。

いきなり2群に分けるのではなく、

最初の1週間は全員に、

標準化された混合食

を食べてもらいました。

これはいわば、

スタート地点をなるべく揃えるための調整期間

です。

そして1週間後に採血。

その後、

  • ヴィーガン食

  • 肉中心食

のどちらかにランダムに割り付けられ、

4週間食事を続けました。

4週間後にもう一度採血。

つまり、

同じ人の介入前と介入後

を比較できるようになっています。


「等カロリー」にしたことが重要

今回の研究には大きな特徴があります。

それが、

isocaloric=等カロリー

です。

ヴィーガン食に変更すると、自然に摂取エネルギーが減り、体重が減ることがあります。

そうすると、

血糖値が改善した
炎症が減った
脂質が改善した

としても、

「ヴィーガンだから良くなった」のか、

「単にカロリーが減って痩せたから良くなった」のか

区別できません。

そこで今回の研究では、

摂取カロリーをなるべく一定に保つ

よう指示されました。

目標摂取量はおよそ、

1800〜2000 kcal/日。

体重も大きく変化しませんでした。

つまり研究者たちは、

体重減少の影響をなるべく取り除き、食事内容そのものによる違いを見ようとした

わけです。

これは今回の研究の大きな長所です。


そもそも「エピジェネティクス」とは?

今回の論文の核心です。

epigenetics=エピジェネティクス

という言葉が登場します。

人間の身体には約30兆個ともいわれる細胞があります。

神経細胞も、

肝細胞も、

筋肉細胞も、

基本的には同じDNAを持っています。

それなのに、

肝臓は肝臓として働き、

筋肉は筋肉として働き、

神経は神経として働きます。

なぜでしょうか。

理由の一つが、

使っている遺伝子が違うから

です。

DNAを巨大な料理本だと考えてみましょう。

料理本そのものは同じでも、

肝臓では「肝臓料理」のページをよく読み、

筋肉では「筋肉料理」のページを読み、

神経細胞では「神経料理」のページを読む。

必要のないページは閉じておきます。

この、

「DNAの文字列そのものを変えずに、どの遺伝子をどの程度使うかを調整する仕組み」

をエピジェネティクスと呼びます。


DNAメチル化とは?

代表的なエピジェネティック機構が、

DNA methylation=DNAメチル化

です。

DNAは、

A
T
G
C

という4種類の塩基でできています。

その中の、

C=シトシン

に、

CH₃=メチル基

という小さな化学構造が付くことがあります。

これが、

DNAメチル化

です。

特に、

CpG site

という場所がよく研究されます。

CpGとは、

C=シトシン
p=リン酸結合
G=グアニン

というDNA配列のことです。


メチル化すると遺伝子はどうなる?

一般的には、

遺伝子の入り口にあたる

プロモーター領域

が強くメチル化されると、

遺伝子は使われにくくなります。

ざっくり言えば、

メチル化↑
→ 遺伝子OFF方向

メチル化↓
→ 遺伝子ON方向

です。

例えば、

「細胞をどんどん増殖させろ」

という遺伝子のプロモーターがメチル化されれば、

その遺伝子が働きにくくなる可能性があります。

ただし、これはあくまで一般論です。

DNAメチル化の意味は場所によって異なり、

メチル化=必ずOFF

ではありません。

ここは非常に重要です。


今回は81万2934か所を測定

研究者は、

Illumina Infinium MethylationEPIC BeadChip

という解析方法を使用しました。

最終的に解析対象となったのは、

812,934か所のCpGサイト

です。

つまり、

血液中DNAの約81万か所を一気に調べています。

このような研究を、

EWAS

Epigenome-Wide Association Study

あるいは、

全エピゲノム関連解析

と呼ぶことがあります。


DMPとは何か?

論文では、

DMP

という言葉が何度も登場します。

DMPは、

Differentially Methylated Position

の略です。

日本語にすると、

差次的メチル化部位

です。

簡単に言えば、

グループ間や介入前後で、メチル化の程度が違ったDNAの場所

です。

例えば、

あるCpG部位で、

ヴィーガン食前 40%
ヴィーガン食後 60%

となれば、

その部位ではメチル化が増えたことになります。


実際にメチル化は変わったのか?

研究では、

介入後にヴィーガン群と肉食群を比較すると、

182個のDMP

が見つかりました。

一方、

介入前からすでに、

158個

の違いがありました。

つまり、

食事介入後に差のある場所が約15%増えたことになります。

さらに、

介入後に新しく出現したDMPは、

97か所

でした。

一見すると、

「ヴィーガン食によってDNAメチル化が大きく変わった」

と感じます。

しかし、

ここにこの研究を読むうえで最重要とも言える注意点があります。


最大の注意点:「多重比較補正後は有意ではなかった」

今回、研究者は、

約81万か所

を一度に統計解析しています。

例えば、

p<0.05

を「有意」とするとします。

1回だけ検定するなら、偶然有意になる確率は5%です。

しかし、

80万回検定するとどうなるでしょうか。

本当は何も差がなくても、

偶然p<0.05になる場所が大量に出ます。

そこで必要になるのが、

multiple testing correction=多重比較補正

です。

今回使用されたのは、

Benjamini-Hochberg法

でした。

これは、

False Discovery Rate=偽発見率

をコントロールする代表的な方法です。


ところが補正すると「有意なDMPはゼロ」

ここが重要です。

Benjamini-Hochberg法で補正すると、

統計学的に有意なDMPは1つも残りませんでした。

研究者自身も明記しています。

そのため研究者はその後、

補正前のraw p-value

を使って解析を進めています。

これは、

探索研究

仮説生成研究

としてはあり得る方法です。

しかし証拠の強さとしては下がります。

したがって今回の研究を、

「ヴィーガン食がDNAを書き換えることを証明した」

と表現するのは言い過ぎです。

より正確には、

「ヴィーガン食によって変化する可能性のあるDNAメチル化パターンが探索的に見つかった」

という研究です。


PCAでも大きな全体差はなかった

研究者は、

PCA=Principal Component Analysis、主成分分析

も行っています。

PCAは、

非常に多くのデータを、

「全体を代表する少数の軸」

に圧縮する統計手法です。

今回のDNAメチル化全体をPCAで見ると、

ヴィーガン群と肉食群が、

完全に別々の集団として分かれるほど大きな変化はありませんでした。

むしろ、

最も強かったのは、

個人差

でした。

つまり、

「食事が違う人どうし」よりも、

「同じ人の介入前と介入後」の方が似ていました。

これはとても自然な結果でもあります。

わずか1か月の食事変更より、

生まれてから何十年と積み上げてきた、

遺伝的背景
生活習慣
年齢
環境

などの方が、当然ながらDNAメチル化に大きく影響します。


結果① 好中球が減少する方向

今回比較的興味深かったのが、

免疫細胞の変化

です。

血液には、

  • 好中球

  • 単球

  • B細胞

  • T細胞

  • NK細胞

など、さまざまな免疫細胞が存在します。

今回研究者たちは、

DNAメチル化パターンから、

どの種類の白血球がどれくらい存在しているか

を推定しました。

これを、

cell type deconvolution=細胞種デコンボリューション

と呼びます。

難しそうですが、

簡単にいえば、

DNAメチル化の特徴から、血液中の細胞の割合を逆算する方法

です。


好中球とは?

好中球は、

身体に細菌などが侵入したとき、

最初に現場へ駆けつける免疫細胞です。

細菌を取り込み、

活性酸素や酵素などを使って攻撃します。

したがって、

好中球そのものは悪い細胞ではありません。

むしろ生命維持には不可欠です。

ただし、

慢性的な炎症状態では、

好中球が慢性的に活性化し、

組織障害や炎症促進に関与することがあります。

今回、

ヴィーガン食群では、

介入後に好中球が少ない方向

に変化しました。

しかもこの推定値は、

以前この試験で実際に測定されていた血球数ともよく一致しました。

したがって、

ヴィーガン食によって短期間でも免疫細胞構成が変化した可能性

については、比較的説得力があります。


結果② CD4陽性T細胞が増加

一方、

ヴィーガン食群では、

CD4陽性T細胞

が増加しました。

CD4陽性T細胞は、

免疫反応の司令塔的な細胞です。

ただし、

CD4陽性T細胞の中には、

Th1
Th2
Th17
Treg

などさまざまな種類があります。

中には炎症を促進するものもあれば、

炎症を抑えるものもあります。

したがって、

CD4陽性T細胞が増えた=必ず抗炎症

とは言い切れません。

研究者は全体として、

好中球減少とCD4陽性T細胞増加を、

免疫恒常性が改善する方向の変化

と解釈しています。


FOXP3とは?

ここで登場するのが、

FOXP3

です。

FOXP3は、

Forkhead Box P3

という転写因子です。

特に、

Treg=制御性T細胞

の機能に重要です。

Tregは、

免疫系のブレーキ役です。

免疫が暴走すると、

自分自身の身体を攻撃してしまいます。

そこでTregが、

「ここで止めておこう」

と免疫反応を抑えます。

自己免疫疾患や慢性炎症研究では、

非常に重要な細胞です。

今回、

ヴィーガン群では、

FOXP3と好中球、食事との関連が示唆されました。

さらに、

植物性食品から増えやすい脂肪酸の一つである、

リノレン酸

との関連も観察されました。

ただし、

FOXP3が直接増えて炎症が改善した

と証明されたわけではありません。

あくまで、

関連が見つかった

という段階です。


「炎症老化」Inflammagingとは?

論文では、

inflammaging

という言葉が登場します。

これは、

inflammation=炎症

aging=老化

を組み合わせた造語です。

年齢を重ねると、

明らかな感染症がなくても、

身体の中では弱い慢性炎症が続きやすくなります。

この慢性炎症は、

  • 動脈硬化

  • 2型糖尿病

  • サルコペニア

  • フレイル

  • 認知症

  • 心血管疾患

など多くの加齢関連疾患と関連しています。

代表的な炎症マーカーには、

CRP
IL-6
TNF-α

などがあります。

つまり研究者は、

食事によって免疫細胞構成が変わり、

慢性炎症が低下すれば、

老化に伴う炎症=inflammaging

にも影響する可能性があると考えているわけです。


結果③ mTOR経路が抑制方向

次に非常に興味深いのが、

mTOR

です。

mTORは、

mechanistic Target Of Rapamycin

の略です。

人間の細胞にとって、

極めて重要な栄養センサーです。

細胞は常に、

「栄養は足りているか」

「増殖してよいか」

「タンパク質を作ってよいか」

を判断しています。

その中心にあるのが、

mTORです。

特に、

mTORC1

は、

  • アミノ酸

  • インスリン

  • IGF-1

  • エネルギー状態

などに反応します。

栄養が豊富だと、

mTORC1が活性化し、

  • タンパク質合成

  • 細胞増殖

  • 成長

を促します。


mTORは「悪者」ではない

老化研究では、

mTORを抑えることがしばしば注目されます。

しかし、

mTORは悪者ではありません。

成長期にも必要ですし、

筋肉の維持にも必要です。

筋トレ後にタンパク質を摂取すると、

ロイシンなどのアミノ酸がmTORC1を刺激し、

筋タンパク合成が促進されます。

一方で、

慢性的にmTORC1が過剰に刺激され続けると、

細胞増殖や代謝異常、老化、がんなどとの関連が研究されています。

つまり、

重要なのは、

適切なオンとオフ

です。


ヴィーガン群ではmTOR関連遺伝子が高メチル化

今回、

ヴィーガン食群では、

mTOR経路に属する遺伝子のプロモーターが、

高メチル化

する方向に動きました。

プロモーターの高メチル化は一般に、

遺伝子発現を抑制する方向

です。

研究者は、

ヴィーガン食によって、

mTOR関連経路が抑制方向へ動いた可能性

を指摘しています。

ただし、

ここも重要な注意があります。

今回測っているのは、

DNAメチル化

です。

mTORタンパク質の活性そのものや、

リン酸化状態を直接測定したわけではありません。

したがって、

「mTORが低下した」

ではなく、

「mTOR関連遺伝子に抑制方向を示唆するエピジェネティック変化が見られた」

と表現する方が正確です。


BCAAとmTOR

研究者たちは以前の解析で、

BCAA

との関連も示していました。

BCAAとは、

Branched-Chain Amino Acids=分岐鎖アミノ酸

です。

代表的なのは、

  • ロイシン

  • イソロイシン

  • バリン

です。

特にロイシンは、

mTORC1を強く刺激することで知られています。

今回も、

肉中心食群では、

バリンなどのアミノ酸濃度が高い傾向が見られました。

つまり、

動物性タンパク質摂取増加

特定のアミノ酸増加

mTORC1刺激

という可能性があります。

しかしこれはまだ、

仮説として考えられる経路

です。

今回の研究で因果関係を直接証明したわけではありません。


結果④ Hippoシグナルも変化

もう一つ、

Hippo signaling pathway

という経路が登場します。

Hippoという名前ですが、

カバとは関係ありません。

Hippo経路は、

  • 細胞増殖

  • 細胞死

  • 臓器サイズ

  • 組織修復

  • がん

などを調節する重要な経路です。

中心となる分子には、

YAP
TAZ

があります。

Hippo経路が適切に働くと、

過剰な細胞増殖を抑えます。

一方、

制御が崩れると、

YAP/TAZが過剰に活性化し、

腫瘍形成に関与する場合があります。

今回、

ヴィーガン群では、

Hippo経路や、

甲状腺がんを含むがん関連経路の遺伝子が、

高メチル化する方向に動きました。

研究者はこれを、

がんに関連する細胞増殖経路が抑制方向へ動いた可能性

と解釈しています。


では「ヴィーガン食でがん予防」なのか?

ここは慎重でなければなりません。

今回の研究では、

実際の、

  • がん発症率

  • がん死亡率

  • 腫瘍形成

  • 再発率

を調べていません。

対象者も48人で、

介入期間も1か月です。

したがって、

「ヴィーガン食を1か月するとがんが予防できる」

とは全く言えません。

今回示されたのは、

がんに関連する分子経路で、がん抑制方向と整合するエピジェネティック変化が観察された

というところまでです。

これは、

「メカニズムとして興味深い」

という段階です。


結果⑤ AMPKが活性化方向

一方、

ヴィーガン群では、

低メチル化方向に動いた経路もありました。

その一つが、

AMPK signaling

です。

AMPKは、

AMP-activated protein kinase

の略です。

細胞内の、

エネルギー不足センサー

です。

細胞のATPが減り、

AMPやADPが増えると、

AMPKが活性化します。

すると、

細胞は、

「今は成長より節約を優先しよう」

という状態になります。

具体的には、

  • 脂肪酸酸化↑

  • 糖取り込み↑

  • オートファジー↑

  • 脂質合成↓

  • タンパク質合成↓

  • mTORC1↓

などが起こります。


mTORとAMPKはアクセルとブレーキ

非常にざっくり言えば、

mTORは、

「栄養がある。成長しよう」

AMPKは、

「エネルギーが少ない。修復と省エネを優先しよう」

という関係です。

老化研究では、

mTOR
AMPK
サーチュイン
オートファジー

などが、

寿命や健康寿命に関係する重要な経路として研究されています。

今回ヴィーガン食群では、

AMPK関連遺伝子が、

活性化を示唆する方向

に変化しました。


その他にも長寿・修復関連経路が変化

ヴィーガン群では、

  • Insulin signaling

  • Longevity pathway

  • Apoptosis

  • DNA repair

  • ubiquitination

  • senescence

などに関連する遺伝子にも変化が見られました。


アポトーシスとは?

Apoptosis=アポトーシス

とは、

プログラムされた細胞死です。

古くなった細胞、

DNA損傷の大きな細胞、

異常な細胞

を自ら処理する仕組みです。

がん細胞はしばしば、

このアポトーシスから逃げる能力を獲得します。

したがって、

適切なアポトーシスは、

がん抑制に重要です。


細胞老化=senescence

cellular senescence=細胞老化

も登場します。

細胞老化とは、

細胞が増殖を停止した状態です。

DNA損傷などが起きた細胞が、

それ以上増殖しないようにする防御機構でもあります。

一方で、

老化細胞が体内に蓄積し、

SASPと呼ばれる炎症性物質を放出し続けると、

慢性炎症や加齢関連疾患に関与します。

つまり、

細胞老化も、

単純に良い・悪いではありません。

短期的にはがん抑制、

長期的な蓄積では老化促進

という二面性があります。


そして最大の話題「生物学的年齢」

今回最もニュースになりやすいのが、

epigenetic clock=エピジェネティック時計

です。

エピジェネティック時計は、

DNAメチル化の組み合わせから、

その人の、

生物学的年齢

を推定しようとするアルゴリズムです。


暦年齢と生物学的年齢

例えば、

同じ50歳でも、

非常に健康な人もいれば、

糖尿病や心血管疾患を複数抱えている人もいます。

戸籍上は同じ50歳でも、

身体の老化度は違います。

そこで、

DNAメチル化などから、

「身体が何歳くらいの状態にあるか」

を推定しようとする研究が進んでいます。


PhenoAgeとは?

今回まず注目されたのが、

PhenoAge

です。

これは、

単に実年齢を当てるだけではありません。

死亡リスクや疾患リスクと関連する、

phenotypic age

を反映するように設計されています。

そのため、

「何歳に近いDNAか」

というより、

健康状態としてどの程度老化しているか

に近い時計です。


ヴィーガン群ではPhenoAgeが約1.7年低下

今回、

ヴィーガン群では、

PhenoAgeが、

−1.7年

変化しました。

95%信頼区間は、

−3.25〜−0.13年

でした。

一方、

肉中心食群では、

+0.56年

でした。

Diet×Time interaction、

つまり、

食事群によって時間変化が異なるか

という解析では、

p=0.045。

統計学的にはギリギリ有意です。


では1か月で「1.7歳若返った」のか?

ここが非常に大切です。

答えは、

そう単純には言えません。

PhenoAgeは、

実際の身体年齢を直接測定しているわけではありません。

DNAメチル化パターンを、

統計モデルに当てはめた推定値です。

したがって、

PhenoAgeが1.7年低下したことと、

「身体が本当に1.7年若返った」

ことは同義ではありません。

さらに、

介入終了後に、

ヴィーガン群と肉食群を直接比較すると、

p=0.14

で、

統計学的有意差はありませんでした。

つまり、

「ヴィーガン群の中では改善した」

という結果と、

「肉食群より明確に改善していた」

という結果は、

同じではありません。


GrimAgeはどうだった?

次が、

GrimAge

です。

GrimAgeは、

死亡リスクを予測するために作られた時計です。

DNAメチル化パターンから、

喫煙歴や、

複数の血中タンパク質に関連する情報を推定し、

死亡や疾患リスクとの関連を見るモデルです。

今回、

ヴィーガン群では、

−0.53年

でした。

95%信頼区間は、

−1.04〜−0.04年。

ヴィーガン群内では有意に低下しました。

一方、

肉食群では、

ほぼ変化なし。

しかし、

Diet×Time interactionは、

p=0.12

で有意ではありませんでした。

介入後の群間比較も、

p=0.27

です。

したがって、

GrimAgeについては、

改善方向の傾向はあったものの、群間差を証明したとは言えない

というのが正確です。


ところがBlood&Skin clockでは逆

ここからが非常に面白いところです。

今回、

Blood&Skin clock

という別のエピジェネティック時計も測定されています。

こちらは、

健康状態よりも、

暦年齢をどれだけ正確に当てるか

に重点を置いた時計です。

すると、

ヴィーガン群では、

+0.61年

肉食群では、

−0.61年

という、

PhenoAgeやGrimAgeとは逆の結果になりました。

Diet×Time interactionは、

p=0.008

介入後の群間比較も、

p=0.0059

で有意でした。

つまり、

この時計だけを見れば、

むしろ、

ヴィーガン群の方が「老化方向」

に動いています。


では結局、若返ったのか?老けたのか?

ここで最も科学的に正確な答えは、

「現時点では分からない」

です。

PhenoAge
GrimAge

は、

疾病や死亡など健康アウトカムを意識した時計です。

一方、

Blood&Skinは、

暦年齢との一致を重視しています。

そもそも、

「生物学的年齢」

というものが、

単一の絶対値として存在するとは限りません。

心血管系の老化と、

免疫系の老化と、

筋肉の老化と、

脳の老化は、

同じ速度で進むとは限りません。

つまり、

異なる時計が、

身体の異なる側面を見ている可能性

があります。

研究者は、

PhenoAgeとGrimAgeを重視し、

健康関連老化が減速した可能性

を指摘しています。

この解釈には合理性があります。

一方で、

Blood&Skin clockが逆方向に動いたことも、

無視してはいけません。

したがって、

最も公平なのは、

「短期間のヴィーガン食はDNAメチル化を変化させ、その結果、健康アウトカム型時計では若年化方向、暦年齢型時計では逆方向という不一致が生じた」

という表現でしょう。


以前の双子研究とも一致する部分がある

今回の論文では、

2024年に発表された、

Twins Nutrition Study

にも触れています。

一卵性双生児の片方をヴィーガン食、

もう片方を健康的な雑食

に割り付けて比較した研究です。

その研究でも、

  • PhenoAge

  • GrimAge

  • DunedinPACE

などで、

ヴィーガン群の老化関連指標が改善する方向が報告されました。

つまり、

植物性食事介入で一部のエピジェネティック時計が改善方向へ動く

という現象は、

今回だけではありません。

ただし、

双子研究では、

ヴィーガン群の体重が減っていたため、

食事そのものの効果と、

体重減少の効果を完全には分けられませんでした。

今回の研究では、

等カロリーにすることで、

その問題をある程度減らしています。

その点は、

今回の研究の意義と言えます。


ビタミンB12の問題

ヴィーガン食を考えるとき、

避けて通れないのが、

ビタミンB12

です。

ビタミンB12は、

  • DNA合成

  • 神経機能

  • 赤血球形成

  • メチル基代謝

などに重要です。

自然食品では、

主に動物性食品に存在します。

したがって、

完全ヴィーガンを長期間続ける場合、

B12補充は基本的に必要

です。

今回の研究期間は、

わずか1か月。

したがって、

短期間で重度のB12欠乏が発生したとは考えにくいでしょう。

ただし研究者自身も、

長期間ヴィーガン食を続けた場合には、

B12をはじめとした栄養素不足が、

エピジェネティックな変化にも影響する可能性

を指摘しています。


今回の研究の強み

ここで、

この研究の良いところを整理します。

① ランダム化試験

観察研究では、

ヴィーガンを選ぶ人そのものが、

健康意識が高い
運動している
喫煙率が低い

といった違いを持っている可能性があります。

今回の研究は、

参加者をランダムに割り付けています。

そのため、

こうした交絡を比較的抑えられます。


② 等カロリー

ヴィーガン食研究では、

自然にカロリー摂取が減り、

体重が落ちることがあります。

今回、

体重を維持させたことで、

食事組成そのものによる影響

を見やすくしています。


③ 同じ人の前後比較

DNAメチル化には、

大きな個人差があります。

同じ人の前後を比較できることは、

非常に重要です。


④ 実際の血球数とメチル化推定が一致

DNAメチル化から推定した、

好中球や単球の割合が、

実際に測定されていた血算データとよく相関していました。

これは、

細胞種デコンボリューションの信頼性をある程度支持します。


一方で限界も大きい

今回の研究は、

興味深い一方で、

かなり慎重に読む必要があります。


限界① 48人しかいない

24人対24人。

エピゲノム解析としては、

かなり小規模です。

DNAメチル化は、

個人差が大きい。

今回も、

食事の違いより、

個人差の方が大きかった

と研究者自身が認めています。

したがって、

小さな効果を正確に検出するには、

もっと多くの参加者が必要です。


限界② わずか1か月

老化やがんは、

何年、何十年という時間で進みます。

それに対し、

今回の研究は4週間。

DNAメチル化が短期間で変化しても、

その変化が、

3か月後も続くのか、

1年後も続くのか、

元に戻るのか、

分かりません。


限界③ 多重比較補正後に有意差なし

繰り返しますが、

これは非常に重要です。

約81万か所を調べた結果、

Benjamini-Hochberg補正後に有意なDMPはありませんでした。

つまり、

ゲノム全体で見た場合、

「ここが確実に変化した」

と言える場所は、

この研究規模では確認できていません。

その後の解析の多くは、

raw p-valueを使用しています。

したがって、

今回示されたmTORやHippoなども、

再現研究による確認が必要

です。


限界④ 血液しか測っていない

血液のDNAメチル化が変化したからといって、

肝臓
筋肉

脂肪組織
膵臓

でも同じ変化が起きているとは限りません。

エピジェネティクスは、

組織特異性が非常に強いからです。


限界⑤ 「ヴィーガンの質」が統一されていない

今回のヴィーガン食は、

必ずしも、

野菜、豆、全粒穀物だけを中心とした、

理想的なwhole-food plant-based dietではありません。

体重を維持するため、

一部の参加者は、

  • ナッツ

  • グラノーラバー

などを多く摂取しました。

つまり、

今回の研究は、

「健康的な植物食」

というより、

「動物性食品を除外した食事」

を研究した側面が強いのです。


では肉は悪いのか?

今回の研究を読んで、

「肉は食べない方がよい」

と結論するのも早すぎます。

動物性食品には、

  • タンパク質

  • ビタミンB12

  • 亜鉛

  • EPA/DHA

  • カルシウム

などの重要な栄養素も含まれます。

特に高齢者では、

タンパク質不足による、

サルコペニア

が大きな問題になります。

mTORを慢性的に過剰刺激することは問題かもしれませんが、

一方で、

筋肉を維持するためには、

適切なmTOR刺激も必要です。

つまり、

重要なのは、

ゼロか100かではありません。


「ヴィーガン」より「植物性食品を増やす」

現在の栄養研究全体を考えると、

多くの人にとって現実的なのは、

完全ヴィーガンになることより、

植物性食品の割合を増やすこと

かもしれません。

例えば、

  • 野菜

  • 果物

  • 豆類

  • 全粒穀物

  • ナッツ

  • 種子類

を増やし、

一方で、

  • 加工肉

  • 超加工食品

  • 精製糖質

  • 過剰な飽和脂肪

  • 糖分の多い飲料

を減らす。

魚や卵、乳製品などを適量残す、

地中海食に近いスタイルもあります。

重要なのは、

「ヴィーガン」というラベルではなく、食事の中身そのもの

です。


この研究で「比較的言えそうなこと」

ここまでを整理すると、

今回の研究から比較的言えそうなのは、

次のようなことです。

食事を4週間変えるだけでも、血液中の免疫細胞構成やDNAメチル化は変化する可能性がある。

また、

ヴィーガン食では、

  • 好中球減少

  • CD4陽性T細胞増加

  • mTOR関連経路

  • Hippo関連経路

  • AMPK関連経路

  • インスリン関連経路

  • アポトーシス

  • DNA修復

など、

炎症、代謝、細胞増殖、老化に関係する分子経路に変化が観察されました。

さらに、

PhenoAgeとGrimAgeでは、

健康関連老化が改善する方向の変化が見られました。


逆に「まだ言えないこと」

一方で、

次のようなことは、

今回の研究だけからは言えません。

「ヴィーガン食を1か月すると1.7歳若返る」

「ヴィーガン食で寿命が延びる」

「肉を食べると老化する」

「ヴィーガン食でがんを予防できる」

「ヴィーガン食が最も健康的な食事である」

こうした結論は、

現在の証拠を超えています。


この研究の本当に面白いところ

今回の研究の面白さは、

ヴィーガンか肉食かという、

食事論争そのものではないと思います。

もっと根本的な点があります。

それは、

人間の身体は、食べたものに応じて想像以上に速く変化する

ということです。

DNAの配列は、

基本的には変わりません。

しかし、

DNAを、

「どのくらい使うか」

「どこを読むか」

というエピジェネティックな状態は、

環境によって変化します。

食事
運動
喫煙
睡眠
ストレス
加齢

などが、

細胞の状態に影響し、

その一部が、

DNAメチル化として観察されます。

つまり、

遺伝子は運命そのものではありません。


「遺伝」と「環境」の間にあるエピジェネティクス

昔は、

病気は、

「遺伝か環境か」

という二択で考えられがちでした。

しかし現在では、

その間にある、

エピジェネティクス

が非常に重要だと分かってきています。

遺伝子そのものを、

ハードウェアだとすれば、

エピジェネティクスは、

ソフトウェア設定

のようなものです。

ハードウェアそのものは変えなくても、

設定が変われば、

動き方は変わります。

今回の研究は、

食事という日常的な行動が、

その「設定」に影響する可能性を示した研究とも言えます。


最後に

2026年に発表されたKarbacherらの研究では、

48人の健康な成人を、

ヴィーガン食群と、

肉を多く含む食事群に分け、

4週間の等カロリー介入を行いました。

その結果、

ヴィーガン群では、

好中球が減少する方向

CD4陽性T細胞の増加

mTOR・Hippoなど細胞増殖関連経路のメチル化変化

AMPK・インスリン・アポトーシス・長寿関連経路の変化

などが観察されました。

さらに、

PhenoAgeは、

約−1.7年。

GrimAgeは、

約−0.53年。

健康アウトカム型のエピジェネティック時計では、

若年化方向の変化が見られました。

一方で、

Blood&Skin clockでは、

逆に+0.61年。

さらに、

約81万か所を調べたゲノムワイド解析では、

多重比較補正後に有意なDMPは確認されませんでした。

したがって、

この研究を、

「ヴィーガン食で若返ることが証明された」

と紹介するのは正確ではありません。

現時点で最も妥当なのは、

次のような結論でしょう。

食事内容を変えると、わずか1か月でも免疫細胞構成やDNAメチル化など、身体の分子レベルの状態が変化する可能性がある。ヴィーガン食では、その一部が炎症抑制や健康関連老化の改善と整合する方向へ動いた。しかし、効果の大きさ、持続期間、がんや寿命など実際の健康アウトカムへの影響については、まだ分からない。

つまり、

「ヴィーガンこそ正解」

という研究ではありません。

むしろ、

私たちの身体は、毎日の食事に応じて分子レベルでかなり柔軟に変化している。

そのことを示した研究として見ると、

非常に面白い論文だと思います。

そして実生活では、

極端な食事制限を始めることより、

野菜、果物、豆類、全粒穀物、ナッツなどの、

質の良い植物性食品を少しずつ増やす。

それだけでも、

今回の研究が示した方向性に近づく、

現実的な第一歩なのかもしれません。


参考論文

Karbacher L, Mertens J, Kowarschik S, et al.
A Vegan Diet Epigenetically Modulates Inflammatory Pathways and Biological Aging: Genome-Wide DNA Methylation Analysis of a One-Month Isocaloric Vegan Versus Meat-Rich Dietary Intervention.
MedComm. Published online August 3, 2026.
DOI: 10.1002/mco2.70899

本研究は、健康成人を対象とした短期ランダム化食事介入試験の二次解析であり、全ゲノムDNAメチル化、免疫細胞構成、エピジェネティック時計などを解析しています。

健康講座1055 頭の中の「ぐるぐる思考」は、なぜ止まらないのか 他人の目、未来への不安、スマホ、恐怖マーケティングを脳科学・心理学から考える




スマホを開くと、いろいろな言葉が飛び込んできます。

「このままでは老後が危ない」

「今から始めないと手遅れになる」

「AIを使えない人は仕事を失う」

「その生活を続けると危険です」

「40代から一気に老けます」

「知らない人だけ損をしています」

「普通の会社員ではもう生き残れません」

「今のあなたのままで、本当に大丈夫ですか?」

内容は違っても、構造はよく似ています。

まず、

「今のあなたには何かが足りない」

と告げる。

次に、

「このままでは未来に困ったことが起きる」

と未来を見せる。

そして最後に、

「だから、この商品、このサービス、この情報、この講座が必要です」

と解決策を差し出す。

もちろん、すべての広告が悪質だという話ではありません。

実際に役立つ商品もあります。勉強した方がいいこともあります。病気を予防するために生活習慣を変えた方がいい場合もある。将来のために貯蓄した方がいい人もいるでしょう。

しかし現代のマーケティングを眺めていると、非常によく使われる一つの強力なスイッチがあります。

それが、

「このままじゃヤバいよ」

です。

なぜ、この言葉はこんなにも人間に効くのでしょうか。

それは単に私たちが騙されやすいからではありません。

人間の脳そのものが、

他人からどう見られているか

未来に危険がないか

何かを見落としていないか

という情報を非常に重要なものとして扱うようにできているからです。

そして、そこへ現代ではスマートフォンが加わりました。

人の目。

未来。

スマホ。

そして「このままでは危ない」というマーケティング。

この四つが結びつくと、人間の頭の中では一日中、

「大丈夫かな」

「もっとやった方がいいかな」

「このままでいいのかな」

「他の人はどうしているんだろう」

という会議が始まります。

今回は、この現象を単なる「考えすぎ」として片付けず、脳科学、心理学、精神医学、そしてマーケティング研究から丁寧に考えてみます。


人間の脳は、そもそも「このままで大丈夫か?」を考える装置である

まず知っておきたいのは、人間の脳はもともと未来を予測する臓器だということです。

今この瞬間だけを処理しているわけではありません。

過去の経験を使って、

「次に何が起こるのか」

を予測します。

危険がありそうなら備える。

食べ物がなくなりそうなら蓄える。

天候が悪化しそうなら避難する。

仲間との関係が悪化しそうなら修復する。

そうやって未来を予測できた個体の方が、生存には有利だったと考えるのは自然です。

現代の脳科学では、こうした内的な思考に関係する重要なネットワークの一つとして、Default Mode Network、DMNが知られています。

DMNには内側前頭前野、後部帯状皮質、楔前部、角回、内側側頭葉などが関与します。

このネットワークは、単に「何もしていないときに働く回路」というだけではありません。

自分について考えること。

過去を思い出すこと。

他人の心を想像すること。

未来の出来事をシミュレーションすること。

人生の出来事に意味を与えること。

そうした内的世界の構築に深く関係しています。

2023年にNeuronに掲載されたMenonのレビューでも、DMNは自己参照、社会的認知、記憶、言語、意味処理などを統合し、私たち自身についての「内的ナラティブ」を形成する重要なネットワークとして整理されています。(サイエンスダイレクト)

だから、

「この先大丈夫かな」

と考えること自体は異常ではありません。

むしろ非常に人間らしい。

問題は、その機能が必要以上に回り続けたときです。


人間がとりわけ敏感なのが「人の目」

未来と同じくらい、人間の脳にとって重要なのが他人です。

私たちは想像以上に、

「どう見られているか」

を気にしています。

服を選ぶ。

髪型を気にする。

SNSに投稿する。

職場で発言する。

子どもの教育を考える。

家を買う。

車を買う。

仕事を選ぶ。

お金を貯める。

こうした行動のすべてが他人のためというわけではありません。

しかしその中に、

「他人からどう見えるか」

という成分が全く入っていない人は、かなり少ないでしょう。

なぜなら、人類の歴史において他人との関係は生存そのものだったからです。

集団から排除される。

信頼を失う。

仲間から助けてもらえない。

これは現代でSNSの「いいね」が少ないという程度の話ではなく、本来は生存に関わる大きな問題でした。

だから私たちは、

「あの人、ちょっと表情が違ったな」

「返信が遅いな」

「さっきの発言、変だったかな」

という微細な社会的サインまで拾います。

そして、そこから脳が勝手に物語を作ります。

「嫌われたのかもしれない」

「評価が下がったのかもしれない」

「失敗したかもしれない」

しかし、ここには大きな落とし穴があります。

「相手の表情が少し違った」

というのは観察事実かもしれません。

でも、

「だから嫌われた」

は推測です。

人間はこの二つを簡単に混同します。


SNSは「人の目」を数百倍に増やした

昔なら、自分が比較する相手はせいぜい身近な人でした。

家族。

同級生。

近所。

職場。

友人。

ところがスマホを開けば、世界中の人間が比較対象になります。

自分より若く成功した人。

自分より稼いでいる人。

海外旅行をしている人。

立派な家を建てた人。

体を鍛えている人。

子どもの成績がいい人。

投資で成功している人。

仕事を辞めて自由に暮らしている人。

しかもSNSに流れてくるのは、人生の平均的な一日ではありません。

多くの場合、

見せる価値のある瞬間

です。

いいホテル。

いい食事。

昇進。

合格。

成功。

旅行。

記念日。

身体の変化。

資産形成の成果。

それを一日に何十人、何百人と見ます。

すると脳はどうするでしょう。

比較します。

「自分は十分なのか」

と。

SNS利用と社会的比較、メンタルヘルスの関係については研究が積み重なっています。ただし重要なのは、SNSを使えば自動的に不幸になるわけではないことです。使い方、利用目的、個人特性などによって影響は大きく変わります。

それでも、

他人の人生を大量に見ることによって、自分の人生を採点する機会が増える

という構造は理解しておいた方がよいでしょう。


そこでマーケティングの「このままじゃヤバいよ」が効いてくる

さて、ここからが今回の中心です。

人間には、

未来の危険を予測する。

他人と比較する。

自分の弱点を探す。

という性質があります。

マーケティングは、当然それを知っています。

たとえば、

「英語を勉強しましょう」

だけでは、そこまで強い動機にならないかもしれません。

しかし、

「AI時代、英語も使えないと市場価値が下がります」

と言われると急に気になる。

「運動しましょう」

より、

「40代から筋肉はどんどん減ります。このままだと老後に歩けなくなるかもしれません」

の方が強い。

「美容サービスがあります」

より、

「そのまま何もしなければ、老化はどんどん進みます」

の方が気になる。

つまり、

欲しいものを提示する前に、足りないものを作る。

正確には、本人が今まで気にしていなかった欠乏やリスクを意識させる。

そして、

「このままでは良くない」

という心理状態を作ります。


心理学では「恐怖訴求」という研究がある

こうした方法は心理学やコミュニケーション研究で、fear appeal、恐怖訴求として長く研究されています。

恐怖訴求とは、

「このまま何もしなければ、あなたに望ましくない結果が起きます」

という危険を提示し、その危険を避けるための行動を促すメッセージです。

たとえば公衆衛生なら、

「喫煙を続けると肺癌リスクが上がる」

と伝える。

これは恐怖を利用していますが、社会的に有用なメッセージでもあります。

したがって、

恐怖訴求=悪質なマーケティング

ではありません。

重要なのは、仕組みです。

127本の論文、248の独立サンプル、合計2万7372人を統合した大規模なメタ解析では、恐怖訴求は平均すると態度、意図、行動を変化させる方向に働き、平均効果量はd=0.29でした。つまり、「危険を見せる」という方法は、実際にある程度人を動かします。(PubMed Central (PMC))

だから広告の世界で、

「このままでは危ない」

が使われ続けるのは偶然ではありません。

ある程度、効くからです。


ただ怖がらせればいいわけではない

ここは非常に重要です。

恐怖訴求研究では、単に不安を高めれば必ず良い結果になるわけではありません。

昔から特に重要とされているのが、

「自分に対処できる」という感覚

です。

たとえば、

「あなたは癌になるかもしれません」

だけ伝えられて、

「ではどうすればいいのか」

が分からなかったら、怖いだけです。

一方、

「このリスクがあります。しかし、この検診を受ければ早期発見につながります」

なら、

危険 → 行動

につながります。

WitteとAllenによるメタ解析では、強い恐怖訴求は危険の重大性や自分にも起こり得るという認識を高めますが、有効な対処法や自己効力感が伴わない場合には、回避や反発のような防御反応につながり得ることが示されています。(PubMed)

さらに約1万9736人を含むメタ解析では、恐怖訴求の中に「その対策は実際に有効である」というresponse efficacyの情報が含まれると、行動への影響がより強くなることが報告されています。(PubMed Central (PMC))

つまりマーケティング的には、

「ヤバいよ」

だけより、

「ヤバいよ。でもこれを買えば大丈夫」

の方が強い。

これは心理学的にも理にかなっています。


現代マーケティングが作る「人工的な緊急事態」

ここから少し怖いところです。

本当に差し迫った危険なら、「ヤバい」と伝える意味があります。

しかしマーケティングでは、本来そこまで緊急性の高くない問題まで、

緊急事態のように見せる

ことがあります。

「今だけ」

「残り3名」

「今日で終了」

「知らないと損」

「今始めないと遅い」

「40歳を超えたら手遅れ」

「このままでは取り残される」

こうした表現には共通点があります。

考える時間を短くし、

今すぐ動かなければ損をする

という心理状態を作ります。

未来の危険と、現在の行動を強制的につなげるわけです。

そこで脳は、

「本当に必要か」

より先に、

「何かしないと危ない」

と考え始めます。


「このままじゃヤバい」は、自分の現在を否定する

この言葉には、もう一つ強い作用があります。

未来を怖がらせるだけではありません。

現在の自分を不十分にする

のです。

「このままでいい」

と思っていた人が、

広告を見たあと、

「このままでいいのかな」

と考える。

ここが非常に大きい。

それまでは何も問題がなかった。

普通に生活していた。

ところが、

「あなたの知らないところで、みんなはもう始めています」

と言われる。

すると、

「自分だけ遅れている?」

となる。

つまり、

未来不安と他人比較を同時に刺激する。

これは非常に強力です。


「みんなやっている」は、人の目を利用する

マーケティングには、未来への恐怖だけでなく、

「他人」

も頻繁に登場します。

「選ばれています」

「今、○○世代で人気」

「利用者100万人突破」

「成功者はみんなやっています」

「賢い人はもう始めています」

こうした表現は、

社会的証明

という心理を利用しています。

自分で判断できないとき、人間は他人の行動を手がかりにします。

これは合理的な方法でもあります。

知らない町で飲食店を選ぶとき、誰もいない店より人が並んでいる店を選びたくなる。

Amazonでもレビューを見る。

ホテルも口コミを見る。

医療機関も評判を調べる。

これは正常です。

しかし、

「他人がやっている」

が、

「だから自分もやらなければならない」

へ変わると、少し話が違ってきます。


他人の成果を見て「自分も急がなきゃ」となる

SNSとマーケティングが組み合わさると、さらに強くなります。

広告そのものより、

「普通の人の体験談」

の形になっていることもあります。

「40歳で転職しました」

「投資を始めて人生が変わりました」

「3か月で10kg痩せました」

「会社を辞めて自由になりました」

「AIを覚えて収入が倍になりました」

本当にそうだった人もいるでしょう。

問題は、それを見た脳が、

「この人の人生」

として終われないことです。

すぐに、

「では自分は?」

となる。

そして、

「自分は何もしていない」

「このままでは遅れる」

という焦りが生まれます。

ここで広告が、

「今すぐ始めましょう」

と来る。

非常によくできた構造です。


未来はマーケティングにとって最高の素材である

未来には誰も行ったことがありません。

だから、

「将来こうなる」

と言われても、完全には否定できません。

AIで仕事がなくなるかもしれない。

老後資金が足りないかもしれない。

病気になるかもしれない。

円安が続くかもしれない。

物価が上がるかもしれない。

老化する。

体力は落ちる。

これらの中には、本当に合理的な懸念もたくさんあります。

しかし未来には幅があります。

ところが不安になると、人間はその幅を忘れます。

「起きる可能性がある」

が、

「起きる」

に変わりやすい。

さらに、

「起きるかもしれない」

が、

「今すぐ何かしなければならない」

に変わります。


不確実性に耐えにくいほど、心配は増える

心理学には、Intolerance of Uncertainty、IU、不確実性不耐性という概念があります。

簡単に言えば、

「先が分からない状態をどの程度つらく感じるか」

です。

2026年に発表された大規模な事前登録メタ解析では、115研究、2万8693人を統合し、不確実性不耐性と心配の間にかなり強い関連、r=0.59が確認されました。また不確実性不耐性は全般性不安、社会不安、PTSD、OCDなどさまざまな不安関連症状とも関連していました。(サイエンスダイレクト)

つまり、

「未来が分からない」

という状態そのものがつらい人ほど、

考えることで未来を確定しようとしやすい。

ところが未来は確定できません。

だから、

もっと検索する。

もっと調べる。

もっと考える。

これが続きます。


そこでスマホが登場する

昔なら、不安になっても情報源には限界がありました。

今は違います。

「将来大丈夫かな」

と思った瞬間、スマホで検索できます。

「老後 資金 不足」

と検索する。

不安になる記事が出てくる。

「老後4000万円必要」

「年金だけでは生活できない」

さらに検索する。

動画が出てくる。

「今からこれを買え」

別の動画を見る。

「いや、それは危険だ」

さらに調べる。

2時間経つ。

最初より分からなくなる。

これが現代です。

スマホは、

不安を解決する装置

であると同時に、

不安の材料を無限に補給できる装置

でもあります。


問題的スマホ使用と不安・抑うつには関連がある

問題的スマートフォン使用と精神症状の関係については多数の研究があります。

27研究、12万895人を統合したメタ解析では、問題的スマホ使用と不安にはr=0.29、抑うつにはr=0.28の関連が認められました。(OUP Academic)

これは、

「スマホを使えば鬱になる」

という意味ではありません。

相関です。

不安だからスマホを頻繁に使う人もいるでしょう。

孤独だからSNSに行く人もいる。

逆に、スマホの使い方によって睡眠や比較、注意が悪化する可能性もあります。

おそらく双方向です。

だから正確には、

スマホ使用と不安の間には循環が起こり得る

と考えるべきです。


スマホは「不安→検索→新しい不安」の循環を高速化する

たとえば健康について不安になったとします。

検索する。

珍しい病気が出てくる。

読む。

さらに心配になる。

また検索する。

仕事について不安になる。

「将来なくなる職業」

を見る。

自分の仕事が入っている。

「AIスキルを学ばないと危険」

という広告が出る。

講座を見る。

SNSを開く。

自分より若い人がAIで稼いでいる。

焦る。

また検索する。

この循環は、

人の目

未来

マーケティング

スマホ

のすべてが一つになっています。

そして、本人は、

「ちゃんと情報収集している」

と思っています。

実際、最初の10分は情報収集かもしれません。

しかしどこかから、

問題解決ではなく安心探し

に変わります。


「もっと調べれば安心できる」は危険な罠

これはかなり重要です。

不安なとき、人間は情報を集めます。

それ自体は合理的です。

しかし、必要な情報が集まった後でも、

「本当に大丈夫?」

と検索を続けることがあります。

この段階では目的が変わっています。

最初は、

「どうすればいいか知りたい」

だった。

途中から、

「絶対大丈夫だと確認したい」

になる。

しかし未来について「絶対大丈夫」という情報は存在しません。

だから検索が終わりません。

別の記事。

別の動画。

別の専門家。

別のAI。

別のSNS。

それでも100%の安心は出てこない。

結果として、

情報を集めるほど不確実性を知ってしまい、さらに不安になる

という逆転が起こります。


マーケティングはその「安心したい」に商品を差し込む

ここで再び、

「このままじゃヤバいよ」

が出てきます。

不安を作る。

未来を想像させる。

他人と比較させる。

安心したくなる。

商品を提示する。

つまり、

商品そのものを欲しくさせるのではなく、商品を買わない状態を不安にする。

これは非常に強い。

美容なら、

「きれいになりたい」

より、

「このまま老けたくない」。

投資なら、

「お金を増やしたい」

より、

「老後に困りたくない」。

教育なら、

「勉強したい」

より、

「取り残されたくない」。

転職なら、

「別の仕事をしたい」

より、

「今の会社にいたら危ない」。

人間は得る喜びだけでなく、

失う恐怖

にも強く反応します。


だからといって広告が全部悪いわけではない

ここはフェアに考えたいところです。

「このままでは危険です」

が正しいこともあります。

高血圧を放置する。

喫煙を続ける。

明らかに危険な飲酒を続ける。

詐欺に遭いそうになっている。

こうした場面では危険を明確に伝える必要があります。

むしろ曖昧に伝える方が問題です。

恐怖訴求に関する研究でも、適切な対処方法を一緒に提示するメッセージは、行動を変えるうえで一定の有効性があります。(PubMed Central (PMC))

だから問題は、

「怖いことを言うかどうか」

ではありません。

重要なのは、

その不安が現実のリスクに比例しているか。

そして、

推奨されている解決策が本当にその問題を解決するのか。

です。


「危険の説明」と「危険を利用した販売」は別物

ここを区別すると分かりやすいでしょう。

医師が、

「血圧が180あります。このまま放置すると心血管疾患リスクが高くなるので治療しましょう」

と言う。

これは医学的根拠に基づいた危険の説明です。

一方、

「あなたの血圧、このままじゃ人生が終わります。今すぐこの10万円のサプリを買いましょう」

なら話は違います。

重要なのは、

危険を言っていることではありません。

危険の大きさ、根拠、解決策の妥当性

です。

マーケティングを見るときには、

「怖いかどうか」

ではなく、

「その因果関係は本当にあるか」

を見る必要があります。


「このままじゃヤバい」と感じた瞬間ほど、判断を急がない

この言葉に反応した瞬間、脳は急ぎます。

「何とかしなければ」

となる。

だから、その瞬間こそ一度だけ止める価値があります。

何もしない、という意味ではありません。

まず、

「今、自分は危機感を刺激された」

と認識する。

これだけです。

すると、

「商品を買うか買わないか」

の前に、

「そもそも本当に問題があるのか」

という一段上の問いに戻れます。


まず「事実」と「物語」を分ける

たとえば、

「AIを学ばないと仕事がなくなる」

という広告を見たとします。

事実として、

AIによって仕事の内容が変化している。

これはあります。

しかし、

「あなたの仕事が数年以内になくなる」

は別です。

さらに、

「だからこの30万円の講座が必要」

はまた別の命題です。

この三つは、本来別々に検証すべきです。

ところが広告では、

一つの物語として一気につながっています。

未来予測。

危険。

解決策。

商品。

脳が焦っていると、この接続をそのまま受け入れやすくなります。


他人の目も同じ

「あの人は成功している」

これは事実かもしれません。

「自分より成功している」

これは比較です。

「だから自分は遅れている」

これは解釈です。

「自分も同じことをやるべきだ」

これは意思決定です。

本来、全部違います。

しかしSNSでは一瞬でつながります。

他人の成功を見る。

焦る。

自分もやらなきゃ。

そこで広告が来る。

これも、

「他人」

「未来」

「マーケティング」

がつながった状態です。


では、どうやってこのループから距離を取るのか

「考えないようにしよう」

とするのは、あまり得策ではありません。

思考抑制の研究では、考えないようにした対象が後で戻ってきやすくなる、いわゆるリバウンド効果が知られています。

だから、

「人の目を気にするな」

「将来の心配をするな」

「スマホを見るな」

と力で押さえ込むより、

まず、

「気づく」

方が使いやすい。

「あ、今また他人と比べている」

「あ、未来を最悪方向にシミュレーションしている」

「あ、広告で焦らされている」

「あ、不安を消したくてスマホを検索している」

それだけです。


「私は不安だ」から「不安が起きている」へ

心理療法では、思考から少し距離を取る方法があります。

デセンタリングや、ACTでいう認知的脱フュージョンが近い考え方です。

「このままじゃダメだ」

ではなく、

「『このままじゃダメだ』という思考が今出ている」

と見る。

「遅れている」

ではなく、

「他人を見て『遅れている』という評価が始まっている」

と見る。

「買わないと危ない」

ではなく、

「買わないことに不安を感じるようなメッセージを見た」

と見る。

この少しの距離が、意思決定の質をかなり変えます。


力で止めず、柔道のように逸らす

ここで、今回見ていた動画に出てきた「柔道」という比喩は、考え方としては面白いと思います。

力で来るものを、さらに大きな力で押し返さない。

流れを利用して、少し方向を変える。

ぐるぐる思考も似ています。

「考えるな!」

と頭の中で叫ぶ。

すると、

「考えていないか?」

と脳が監視し続けます。

それより、

「ああ、また脳が不安を検索している」

と一度眺める。

そして、

今やっていたことへ戻る。

これでいい。

思考を倒す必要はありません。


「今ここ」に戻る意味

人の目は、頭の中にあります。

未来も頭の中にあります。

広告を閉じても、そのメッセージは頭の中に残ります。

一方、

呼吸。

足の裏。

風。

周囲の音。

目の前の仕事。

目の前にいる人。

これらは今ここにあります。

だから、ぐるぐる思考から距離を取るとき、身体感覚を使う方法があります。

特別な瞑想でなくていい。

今聞こえている音を10秒だけ聞く。

椅子に触れている背中を感じる。

歩きながら足裏を感じる。

一度深く息を吐く。

それだけでも、

頭の中の未来から、

今へ注意を戻すきっかけになります。


そして一番重要なのが「行動できる問題か」を見ること

未来の不安を全部流してしまう必要はありません。

本当に問題があることもあります。

だから、

「今できる行動があるか」

を考えます。

あるならやる。

ないなら置く。

これが非常にシンプルです。

健康が心配で、検診を何年も受けていないなら受ける。

お金が心配で、家計を一度も確認していないなら確認する。

仕事の将来が不安で、必要なスキルが明確なら勉強する。

ここまでは問題解決です。

しかし対策をした後でも、

「でも本当に大丈夫かな」

「もっと準備した方が」

「他の人はもっとやっている」

と続くなら、

それはもう問題解決ではなく、

安心を探すための反芻

に変わっている可能性があります。


「十分」という終了条件を作る

現代社会で非常に重要なのが、

どこで終えるか

です。

勉強には終わりがない。

資産形成にも終わりがない。

美容にも終わりがない。

仕事のスキルにも終わりがない。

健康にも100%はない。

SNSを開けば、必ず自分より先を行く人がいます。

だから外の世界に終了条件を任せると、

永遠に、

「まだ足りない」

になります。

マーケティングにとっては、その方が都合がいい。

ずっと顧客でいてくれるからです。

しかし自分の人生としては、

どこかで、

「ここまでで十分」

を自分で決める必要があります。


「Enough」を持たない人には、無限に商品が売れる

考えてみれば当然です。

「もっと稼がなければ」

「もっと若く見えなければ」

「もっと健康にならなければ」

「もっと頭が良くなければ」

「もっと評価されなければ」

「もっと自由にならなければ」

この「もっと」に終点がなければ、商品もサービスも無限に必要になります。

新しい講座。

新しい投資商品。

新しい美容。

新しいサプリ。

新しい資格。

新しい自己啓発。

新しいAIツール。

しかし、

「自分はこれで十分」

という線が一本あるだけで、

かなりの広告が効かなくなります。

それは向上心を捨てるという意味ではありません。

自分が望んでいる向上と、外から注入された不足感を区別する

ということです。


「欲しい」のか、「不安を消したい」のか

買い物をするとき、一つだけ面白い問いがあります。

「私はこれが欲しいのか。それとも、これを買わない不安を消したいのか」

です。

両者は似ています。

しかし全く違います。

この本を読みたい。

この旅行に行きたい。

この服が好き。

これは欲求です。

一方、

これを買わないと遅れる。

これを買わないと老ける。

これを買わないと損する。

これは不安回避です。

もちろん不安回避で買ってはいけない、という話ではありません。

保険などはある意味、不安に対処する商品です。

しかし、

「自分は今、不安を買い物で消そうとしている」

と気づくだけで、判断はかなり冷静になります。


スマホから少し距離を置く本当の意味

デジタルデトックスという言葉があります。

しかしスマホを完全に悪者にする必要はありません。

問題はスマホそのものより、

スマホ経由で何度も「不足」と「危険」を注入されること

です。

朝起きる。

SNSを見る。

誰かが成功している。

広告を見る。

「このままでは危ない」

ニュースを見る。

「日本が危ない」

投資情報を見る。

「暴落に備えろ」

健康情報を見る。

「この症状は危険」

仕事情報を見る。

「AIに仕事を奪われる」

これを一日何十回もやれば、

そりゃあ脳は、

「何か問題があるのではないか」

と思います。

だから、スマホを少し離す意味は、

「デジタルは悪だから」

ではありません。

脳に入力される危機信号の総量を減らす

という意味があります。


最後に――「このままじゃヤバい」は、本当に自分の声なのか

人生の中で、

「このままではダメだ」

と思うことがあります。

その感覚が正しいこともあります。

環境を変えた方がいい。

仕事を変えた方がいい。

病院へ行った方がいい。

勉強した方がいい。

逃げた方がいい。

そういう場面は確かにあります。

しかし、

「このままじゃヤバい」

という声が聞こえたら、一度だけ確認してみてもいいと思います。

その声は、

自分の中から出てきたものなのか。

それとも、

誰かの成功を見た直後なのか。

広告を見た直後なのか。

SNSを見た直後なのか。

ニュースを見た直後なのか。

誰かから評価された直後なのか。

そして、

本当に今の自分に問題があるのか。

それとも、

問題があるような気分になっているだけなのか。

この二つは全く違います。

人間の脳は、他人を見る。

未来を考える。

危険を探す。

比較する。

その能力のおかげで私たちは生き残ってきました。

だから、この機能を消す必要はありません。

ただし現代では、この仕組みに一日中アクセスできる装置を、私たちはポケットの中に持っています。

そこへマーケティングが、

「もっと」

「急げ」

「遅れる」

「損する」

「危ない」

と語りかけてきます。

そのたびに全部反応していたら、人生がずっと非常事態になります。

だから、

一度だけ気づく。

「あ、今また『このままじゃヤバい』を入れられたな」

と。

本当にヤバいなら対応する。

対応できるなら行動する。

根拠が薄ければ放っておく。

未来なのでまだ分からないなら、分からないまま置いておく。

他人の人生なら、他人の人生として置いておく。

そしてスマホを閉じる。

目を上げる。

今、自分がいる場所へ戻る。

結局、

広告が何を言うかは自分には決められません。

他人がどう生きるかも決められません。

未来がどうなるかも完全には決められません。

しかし、

今この瞬間、何を自分の問題として採用するかは選べます。

「このままじゃヤバい」

という言葉に出会うたび、

本当に人生を変える必要があるとは限りません。

ときには、

その言葉を閉じるだけで十分なのです。

2026/09/05

健康講座1054 【1日たった数分で死亡リスクが下がる?】 忙しい人ほど知ってほしい「VILPA(短時間の全力動作)」の科学 — Nature Medicine研究をわかりやすく解説 —

 


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こんにちは。
今日は 「忙しい人ほど希望が持てる運動研究」 を紹介します。

多くの人がこう思っています。

  • 運動は大事

  • でも時間がない

  • ジムに行くのは大変

  • 続かない

ところが最近、非常に興味深い研究が発表されました。

それが
Nature Medicine(2022)

Association of wearable device-measured vigorous intermittent lifestyle physical activity with mortality

という論文です。

この研究のメッセージは非常にシンプルです。

「日常生活の中の短い全力動作でも健康効果がある」

しかも
死亡リスクレベルで影響が見える可能性が示されました。

今日はこの研究を

  • 論文の内容

  • 専門用語の解説

  • 研究の信頼性

  • 実生活でどう活かすか

まで、一般の方にもわかる形で丁寧に解説します。


まず結論

この研究の重要ポイント

1分程度の息が上がる動作を1日3回

これだけでも

  • 全死亡リスク
    約38〜40%低下

  • 心血管死亡
    約48〜49%低下

と関連していました。

つまり

合計3〜5分の「短い全力動作」

でも健康効果が示された可能性があります。

もちろんこれは
因果関係を証明した研究ではありません

しかし

非常に興味深い大規模研究

です。


この研究はどんな研究?

研究は
UK Biobank

という巨大データベースを使っています。

対象人数

25,241人

平均年齢

61.8歳

しかも重要なポイントがあります。

この人たちは

運動習慣がない人

です。

つまり

  • ジム

  • ランニング

  • スポーツ

などをしていない人です。


追跡期間

平均

6.9年

約7年間です。

この期間に

852人が死亡

しました。

この死亡率と
日常動作の関係を解析しています。


この研究の最大の特徴

普通の研究は

アンケート

です。

  • 運動してますか?

  • 週何回?

しかし問題があります。

人間は

正確に覚えていない

からです。


この研究は違います

参加者は

加速度計

を装着しました。

つまり

ウェアラブルデバイス

です。

簡単に言うと

Apple Watchのようなもの

です。

これによって

  • 1日の動き

  • 強度

  • 時間

客観的に測定しています。


VILPAとは?

この研究のキーワード

VILPA

です。

専門用語を解説します。


VILPA

Vigorous Intermittent Lifestyle Physical Activity

日常生活の中の短時間の高強度運動

です。

ポイント

  • 運動としてやるものではない

  • 日常動作

です。


具体例

VILPAの例

  • 急いで階段を登る

  • 小走り

  • バスに駆け込む

  • 重い荷物を運ぶ

  • 急いで歩く

つまり

生活の中の短い全力動作

です。


強度の定義

研究では

6MET以上

を高強度としています。


METとは

運動強度の単位

MET(Metabolic Equivalent)

安静時を

1MET

とします。

運動MET
歩行3
早歩き4〜5
ジョギング7
ランニング10

つまり

6MET以上

息が上がる運動

です。


実際の結果

中央値

1日3回

でした。

1回

1〜2分

です。

つまり

合計3〜4分

です。


それでも結果は

VILPAなしと比較して

全死亡

38〜40%低下


心血管死亡

48〜49%低下


さらに

1日平均

4.4分

のVILPAでも

全死亡

26〜30%低下

心血管死亡

32〜34%低下

と関連しました。


面白いポイント

研究者はさらに比較しました。

今度は

運動している人

です。

対象

62,344人

結果

VILPAと

ほぼ同じ効果

でした。


つまり

短時間の全力動作でも

運動と似た健康効果

がある可能性が示唆されたのです。


なぜ効果があるのか?

理由は

運動強度

です。


運動の効果は「時間より強度」

実は

同じ運動量なら

強度が高いほど効果が高い

ことが知られています。

理由は

心肺機能が強く刺激されるからです。


心肺機能

医学用語

cardiorespiratory fitness

です。

これは

健康寿命と

非常に強く関連

しています。


心肺機能が高い人

特徴

  • 心血管病が少ない

  • 糖尿病が少ない

  • がん死亡が少ない

そして

死亡率が低い

ことが知られています。


なぜ短時間でも効く?

理由

HIITと似ている

からです。


HIIT

High Intensity Interval Training

日本語

高強度インターバルトレーニング

です。

短時間の全力運動を

繰り返す方法です。


HIITは

  • 心肺機能

  • インスリン感受性

  • ミトコンドリア

を改善することが知られています。

VILPAは

日常生活版HIIT

と言えます。


この研究の強み

この研究の優れた点

①サンプルが大きい
約2.5万人

②追跡期間
約7年

③客観的データ
加速度計

④死亡アウトカム


ただし重要な注意点

これは

観察研究

です。

つまり

因果関係は証明できません

です。


可能なバイアス

例えば

VILPAが多い人は

  • 健康意識が高い

  • 体力がある

可能性があります。

研究では

  • 喫煙

  • BMI

  • 食事

などを調整していますが

完全には除去できません。


それでも価値がある理由

運動研究の多くは

自己申告

です。

しかしこの研究は

ウェアラブルデータ

です。

信頼性は

かなり高いです。


実生活でどう使う?

研究者の提案

all activity counts

です。


意味

すべての活動が健康に寄与する

です。

昔のガイドラインでは

10分以上

が必要でした。

しかし今は

短時間でもOK

と考えられています。


実践例

忙しい人向け

おすすめ

①階段ダッシュ
②通勤早歩き
③自転車全力
④坂道を速歩
⑤犬の散歩で早歩き


目安

1日

3〜5分

息が上がる動作

です。


特におすすめ

研究対象は

運動していない人

です。

つまり

  • ジム嫌い

  • 運動苦手

  • 忙しい

人に向いています。


医学的なまとめ

この研究のポイント

1
日常の短い全力動作(VILPA)

2
1日3〜5分でも

3
死亡リスク低下と関連


最後に

健康は

「特別な運動」

だけではありません。

実は

日常の中にあります。

  • 階段

  • 小走り

  • 早歩き

こういう動作でも

体は確実に刺激を受けています。

もし運動が苦手なら

まずは

1日3回の息が上がる動作

から始めてみてください。

それだけでも

体は確実に変わり始めます。



2026/09/03

健康講座1053 FreeStyleリブレ2はレントゲンで外さなくていい? 2026年7月の変更を、やさしく解説します

 



更新:2026年9月

皆さん、こんにちは。

FreeStyleリブレ2を使っていると、「今度レントゲンを撮るんだけど、センサーは外したほうがいいの?」と気になることがありますよね。

これまでは、X線撮影、CT、MRIの前にはセンサーを外すよう案内されていました。リブレ2のセンサーは、いったん外すと再利用できません。そのため、検査のためだけに新しいセンサーへ交換する必要があり、費用もかかりますし、測定データが途切れてしまうこともありました。

ところが、2026年7月末に、この扱いが変わりました。

先に結論:一般のレントゲンとCTは、原則そのままで大丈夫

2026年9月時点で確認できる日本向けの公式情報では、FreeStyleリブレ2は、一般的なレントゲン撮影とCT検査であれば、センサーを装着したまま受けられます。

2026年7月31日、アボットジャパンは、FreeStyleリブレ2の添付文書や取扱説明書などにあたる「表示材料」を改訂しました。以前は「X線、MRI、CT検査の前にはセンサーを外す」という注意書きでしたが、改訂後はX線とCTの記載がなくなり、MRIだけが残っています。[アボットジャパンの改訂案内(PDF)](https://www.myfreestyle.jp/hcp/news/pdf/pdf-260731-01.pdf)

日本診療放射線技師会も、この変更を受けて、リブレ2は一般のX線撮影やCTでは、原則としてセンサーを外す必要がなくなったと案内しています。MRIについては、これまでどおり取り外しが必要です。[日本診療放射線技師会のお知らせ](https://www.jart.jp/news/info/20260807)

検査ごとの扱いを簡単にまとめると、次のとおりです。

検査センサーの扱い
一般のレントゲン、X線撮影原則、装着したままで可
CT検査原則、装着したままで可
MRI検査検査前に取り外す
放射線治療、長時間の透視、血管造影など一般のレントゲンと同じとは限らないため、事前確認が必要

ただし、センサーを装着したまま検査を受ける場合でも、受付や検査室で「FreeStyleリブレ2を装着しています」と必ず伝えてください。センサーが画像に写り込むことがあるためです。

センサーを外さなくてよくなったことで、検査のたびに新しいセンサーへ交換する必要がなくなり、測定期間を途切れさせずに済みます。岡山大学病院の案内でも、標準的なX線・CT検査中は測定が中断されないと説明されています。[岡山大学病院の案内](https://www.ouhp-dmcenter.jp/project/donats/x%E7%B7%9A%E3%83%BBct%E6%A4%9C%E6%9F%BB%E4%B8%AD%E3%81%AEfreestyle%E3%83%AA%E3%83%96%E3%83%AC2%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%89%B1%E3%81%84%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B/)

一方で、検査中にスマートフォンやReaderを検査室の外に置く場合は、その間の画面表示やアラートを確認できないことがあります。センサーをつけたままでよいことと、検査中に端末を使えることは、別の話です。

7月に変わったのは、センサーではなく公式の案内

ここは少しややこしいところです。

今回の変更は、2026年7月にセンサーの中身が新しくなった、という意味ではありません。アボットジャパンの案内には、製品性能そのものに変更はないと記載されています。

変わったのは、利用者や医療機関が確認する添付文書、取扱説明書、個装箱、アプリの説明書などの記載です。正確には、添付文書だけでなく、複数の公式な「表示材料」が改訂されました。

「添付文書」というのは、その医療機器を何に使うのか、どう使うのか、どのような注意が必要なのかをまとめた公式文書です。「使用してはいけない条件」や、起こる可能性のある不具合についても書かれています。

アボットジャパンによると、改訂された表示材料は2026年10月以降に出荷される製品から順次使われる予定です。そのため、しばらくの間は、以前の説明書が入った製品も流通する可能性があります。

手元の説明書に「X線やCTの前には外してください」と書いてあっても、必ずしもセンサー自体が別物ということではありません。説明書の切り替えに時間差があるためです。迷ったときは、現在の公式情報と、検査を受ける医療機関の指示を確認しましょう。

FreeStyleリブレ2は、何を測っているの?

FreeStyleリブレ2は、CGMという機器です。

CGMは、Continuous Glucose Monitoringの略で、日本語では「持続グルコース測定」といいます。上腕の後ろ側に小さなセンサーを貼り、センサーの先端を皮下に置いて、体の中のグルコースを連続的に測定します。

ここで測っているのは、血液そのものではありません。センサーが見ているのは、細胞と細胞の間にある「間質液」という液体の中のグルコースです。

血液中のグルコースが間質液に反映されるまでには、少し時間差があります。そのため、食後や運動後、インスリンを使った後のようにグルコースが急に変化する場面では、指先で測る血糖値とリブレの値が一致しないことがあります。

今回、X線やCTとの関係で問題になっていたのは、X線が血糖値を変えるかどうかではありません。センサー内部の電子部品が影響を受けて、壊れたり、誤った値を表示したり、通信できなくなったりしないか、という点です。

「体への影響」と「機器の測定機能への影響」は、分けて考える必要があります。

レントゲン・CTとMRIは、同じ画像検査でも仕組みが違う

レントゲンとCTはX線を使う

一般のレントゲン撮影では、X線を体に当てます。体の組織によってX線の通り抜け方が違うため、その差が画像になります。

CTもX線を使う検査です。体の周囲からいろいろな方向にX線を当て、コンピューターで体の断面画像を作ります。単純なレントゲンとCTでは画像の作り方が違いますが、どちらも基本的にはX線を利用しています。

X線は「電離放射線」と呼ばれます。これは、物質をつくる原子から電子をはじき出すほどのエネルギーを持つ放射線、という意味です。人体だけでなく、電子機器にも、照射量や照射条件によっては影響を与える可能性があります。

以前のリブレ2では、X線やCTの影響が十分に評価されていないという理由から、安全のためにセンサーを外すよう案内されていました。今回、試験結果などを踏まえて、その注意書きが見直されたと考えられます。

MRIは磁石と電波を使う

MRIは、X線を使いません。強い磁場と、磁場を変化させる仕組み、高周波の電波を使って体の内部を画像にします。

「放射線を使わないなら、MRIのほうが機器にも安全なのでは」と思うかもしれません。しかし、医療機器にとっては、X線とは別の危険があります。

MRIの強い磁場によって、金属を含む部品が引っ張られたり、向きが変わったりする可能性があります。また、高周波によって部品が熱くなったり、電子回路が誤作動したりすることもあります。

日本向けFreeStyleリブレ2の添付文書には、センサーに金属が含まれているため、MRI検査では、装置への吸着、故障、破損、火傷などのおそれがあると記載されています。MRIの前には、必ずセンサーを外してください。[PMDA掲載のFreeStyleリブレ2センサー添付文書](https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/kikiDetail/ResultDataSetPDF/100159_30300BZX00119000_B_01_02)

今回の変更は、「X線とCTは装着したままでよくなったが、MRIまで大丈夫になった」という意味ではありません。X線・CTとMRIは、はっきり分けて考える必要があります。

なぜ「レントゲンとCTは大丈夫」と判断されたのか

今回の変更には、公式文書の見直しだけでなく、リブレのセンサーを実際に放射線環境に置いて機能を調べた試験も関係しています。

アボットの公式FAQ

アボットの日本向けFAQでは、MRIの場合は検査前にセンサーを取り外す必要がある一方、X線とCTについては、試験によってセンサーが影響を受けないことが示されたため、装着したまま使用できると説明されています。

同じFAQには、センサーをつけたままX線やCTを受けると、撮影する場所や条件によっては、センサーが画像に写り込む可能性もあると書かれています。[アボット公式FAQ](https://www.freestyle.abbott/ja-jp/support/faq-54.html)

ここでいう「影響を受けない」とは、通常の検査でセンサーの測定機能が壊れたり、検査によって測定値が系統的に変化したりすることが確認されなかった、という意味です。どんな放射線を受けても絶対に故障しない、という意味ではありません。

FreeStyleリブレ2を対象にした試験

2023年に発表された研究では、FreeStyleリブレ、FreeStyleリブレ2、FreeStyleリブレ3のセンサーについて、X線、CT、MRIの影響が調べられました。

X線とCTの試験では、センサーに模擬的なグルコースデータを読み込ませたうえで、放射線を当てました。センサーに直接当てる条件、周囲から影響を受ける条件、散乱線を受ける条件などを設定し、その後もセンサーが機能するか、データが保たれるか、設定したグルコース濃度に対する反応が変わらないかを確認しています。

FreeStyleリブレ2では、X線を試験全体で20回、CTを10回照射する評価が行われました。通常の一回の診断検査で想定される条件を上回る、比較的厳しい条件も含まれています。

結果として、X線・CTの後もセンサーの機能とデータは保たれ、測定値のずれも試験の許容範囲内でした。研究報告の表では、FreeStyleリブレ2の誤差は、許容基準の10mg/dL以下に対して1mg/dL未満でした。[Matievichらの原著論文](https://doi.org/10.1177/19322968221106206)

この結果は、リブレ2そのものを対象にした技術的な根拠として重要です。ただし、読み方には注意が必要です。

この研究は、実際の患者さんを病院で長期間追跡した臨床研究ではなく、センサーを使った実験室内の機能評価です。使われたセンサーの数も多くありません。また、研究費はアボットが負担し、著者はアボットの社員でした。

そのため、この研究だけから「どんな条件でも絶対に壊れない」と言うことはできません。一方で、リブレ2を対象に、X線やCTを直接・間接・散乱の条件で当てて機能を確認し、問題がなかったという点は、今回の公式案内を理解するうえで有力な材料です。

別モデルを使った日本の研究

2019年には、日本の研究者らがFreeStyleリブレProのセンサー50個を使い、胸部X線、CT、放射線治療、MRIの影響を調べています。

各条件に10個ずつのセンサーを割り当て、検査前後の記録データを比較したところ、データを読み取れない、エラーが出るといった問題はなく、検査前後で記録に変化は認められませんでした。[藤田医科大学の研究紹介](https://pure.fujita-hu.ac.jp/en/publications/are-the-recorded-data-of-flash-glucose-monitoring-systems-influen/)

ただし、この研究の対象はFreeStyleリブレProであり、現在のリブレ2と完全に同じ製品ではありません。そのため、これは補助的な根拠として見るのが適切です。特にMRIについては、日本向けのリブレ2の現行添付文書が取り外しを求めています。過去の研究結果だけを理由に、MRIへ装着したまま入ることはできません。

「センサーが画像に写る」ことと「センサーが壊れる」ことは別

「センサーが画像に写り込む」と聞くと、検査中にセンサーが壊れるのではないかと思うかもしれません。しかし、この二つは別の話です。

画像の中に、体の構造ではない機器や金属が写ると、白い影や黒い影、線状の乱れが出ることがあります。こうした画像上の乱れを「アーチファクト」と呼びます。

アーチファクトによって、画像を読みにくくなったり、センサーの近くにある小さな病変が見えにくくなったりすることがあります。画像を確認する医師は「読影医」と呼ばれますが、読影医が画像を読むとき、センサーの存在を知っていれば、その影響を考慮できます。

そのため、レントゲンやCTではセンサーを外さなくてもよい一方で、検査担当者には必ず装着を伝える必要があります。

センサーは直径約35mm、厚さ約5mmの小さな機器です。先ほど紹介した試験では、X線やCTの画像上でセンサーを確認できるものの、画像への影響は小さいと報告されています。ただし、実際の影響は、センサーの位置、撮影する部位、装置、撮影条件によって変わります。

検査当日はどうすればいい?

通常の胸部レントゲン、骨のレントゲン、腹部のレントゲンなどを受ける場合は、現在の公式情報上、センサーを自分で外す必要はありません。CTも同じです。

受付や検査室で、「FreeStyleリブレ2を上腕に装着しています」と一言伝えれば大丈夫です。もし医療機関側から個別の指示があった場合は、その施設の指示を優先してください。

スマートフォンやReaderを検査室へ持ち込めるかどうかは、センサーの扱いとは別に、病院のルールに従います。端末を検査室の外に置く場合は、検査中に画面を確認したり、アラートを受け取ったりできない可能性があります。

MRIを受ける場合は、検査室に入る前に必ずセンサーを取り外します。いったん外したセンサーは再利用できないため、検査後は新しいセンサーが必要です。MRIの予約が決まったら、センサーの交換時期や予備のセンサーについて、主治医や医療機関に早めに相談しておくと安心です。

検査後に、センサーの表示がおかしい、体調と数値が合わない、低血糖や高血糖のような症状がある、といった場合は、指先で測る血糖測定器で確認してください。測定値と自覚症状が一致しない場合に血糖測定器で確認することは、リブレ2の添付文書でも案内されています。

すべての放射線検査に、そのまま当てはまるわけではない

今回の変更は、日本向けのFreeStyleリブレ2センサーについてのものです。

初代FreeStyleリブレ、FreeStyleリブレPro、Dexcomなど他社のCGM、インスリンポンプに、同じ扱いが自動的に当てはまるわけではありません。医療機器は、製品ごとに内部構造や試験結果、公式の注意事項が異なるためです。

また、「X線」と呼ばれる検査でも、一般の胸部レントゲンや通常のCTと、放射線治療、長時間の透視、血管造影、CT透視などでは、照射量や照射時間、放射線の当たり方が大きく異なる場合があります。

今回の改訂を、特殊な高線量検査や放射線治療にまで広げて考えることはできません。米国食品医薬品局(FDA)も、X線、CT、透視、血管造影などでは、装着している機器の種類や照射範囲を確認するよう説明しています。特に高エネルギーの放射線治療は、一般の画像検査とは分けて考える必要があります。[FDA:糖尿病用ウェアラブル機器と画像検査・放射線治療](https://www.fda.gov/radiation-emitting-products/electronic-medical-devices-x-ray-imaging-and-radiation-therapy-what-know-and-how-prevent-damage/preventing-damage-wearable-diabetes-devices-during-imaging-and-radiation-procedures)

空港のボディスキャナーや手荷物検査のX線装置も、医療機関の一般的なレントゲンと同じ扱いとは限りません。今回の変更を、別の機器や別の検査にそのまま広げないようにしましょう。

よくある疑問

古い説明書に「X線・CTでは外す」と書いてあります

アボットジャパンは、改訂版の表示材料を2026年10月以降の出荷品から順次使う予定としています。当面は、改訂前の説明書が入った製品も流通します。

古い説明書が手元にあること自体は、不自然ではありません。現在の公式FAQではX線・CTは装着したままで使用できると説明されていますが、実際の検査では、受検する医療機関の最新の運用も確認してください。

レントゲンを受けると、血糖値が変わりますか

今回問題になっているのは、X線が血糖値を上げたり下げたりすることではありません。センサーの電子部品や測定機能に影響が出る可能性があるかどうかです。

レントゲンやCTの後に表示値と体調が合わない場合は、X線のせいだと決めつけず、指先の血糖測定で確認してください。

センサーが写って、レントゲン画像が読めなくなることはありますか

センサーが画像に写り込む可能性はありますが、必ず画像が読めなくなるという意味ではありません。撮影部位とセンサーの位置によって影響は変わります。

あらかじめ装着を伝えておけば、検査担当者や画像を読む医師が、その影響を考慮できます。

まとめ

FreeStyleリブレ2を使っている方にとって、今回の変更はかなり実用的なものです。

2026年7月末のアボットジャパンによる表示材料の改訂により、日本向けのFreeStyleリブレ2は、一般のレントゲン撮影とCT検査では、原則としてセンサーを装着したまま受けられるようになりました。検査のたびにセンサーを外して交換する必要がなくなり、測定期間を途切れさせずに済みます。

この変更は、アボットの公式資料だけでなく、日本診療放射線技師会の案内でも確認できます。また、リブレ2を含むセンサーを使った放射線照射試験でも、X線・CT後の機能維持が確認されています。

ただし、「どんな放射線検査でも絶対に大丈夫」という意味ではありません。センサーが画像に写る可能性はあるため、検査担当者には必ず装着を伝えます。放射線治療、長時間の透視、血管造影などは、個別に確認しましょう。

そして、MRIは今も別扱いです。MRIを受けるときは、これまでどおり検査前にセンサーを取り外してください。

覚えておくことは、これだけです。

一般のレントゲンとCTは、リブレ2を装着したまま。MRIは、これまでどおり外す。どの検査でも、まず医療スタッフに伝える。

根拠を確認した資料

健康講座1052 重度高中性脂肪血症は「腎臓」を静かに壊している ― カイロミクロン血症候群に隠された腎障害という見えない負担 ―




皆さんこんにちは。

今日は2026年に発表された最新の医学論文
「The hidden burden of kidney damage in chylomicronemia syndromes」
(カイロミクロン血症候群における“隠れた腎障害の負担”)
を、できるだけ噛み砕いて解説します。

この研究はとても重要です。

なぜなら、

👉 「中性脂肪が極端に高い人では、実は腎臓がかなりの頻度で傷んでいる」

という事実を、病理レベル(腎生検)と実臨床データの両面から証明したからです。


まず結論から

この論文の核心はこれです:

✅ 重度のカイロミクロン血症では

  • 約35%が蛋白尿

  • 約50%で腎機能低下

  • 約40%で過剰濾過(腎臓の酷使状態)

が見られ、

さらに

✅ 腎生検では

  • 糸球体に脂質が沈着

  • 泡沫細胞(脂肪を食べた細胞)が侵入

という**“脂質による腎障害”**が直接確認されました。

つまり:

中性脂肪が異常に高い状態そのものが、腎臓を物理的に壊している

ということです。


そもそも「カイロミクロン血症」とは?

少し整理します。


● カイロミクロンとは?

食事で摂った脂肪を運ぶ超大型リポ蛋白です。

通常は数時間で消えます。

しかし、

  • 遺伝的異常

  • インスリン抵抗性

  • 糖尿病

  • アルコール

  • 肥満

などが重なると、

血液中にずっと残り続けます。

これが

カイロミクロン血症

です。


● 2つのタイプ

この論文では次の2群を解析しています。

① FCS(家族性カイロミクロン血症)

  • 遺伝子異常が原因

  • 若い頃からTGが1000mg/dL超

  • 非常に稀

② MCS(多因子性)

  • 遺伝+生活習慣の合わせ技

  • 圧倒的に多い


研究方法

この研究は2段構えです。


① 腎生検(3名)

重度高TG+蛋白尿の患者3名に腎生検を実施。


② 国際コホート解析(84名)

イタリアとカナダの

  • FCS:38人

  • MCS:46人

計84人のカルテを後ろ向き解析。


腎障害の定義は:

  • 蛋白尿あり

  • eGFR<90

  • eGFR<60

  • または過剰濾過(≥105)


結果(かなり衝撃的)


● 腎生検で何が見えたか?

3人全員に共通していたのは:

🔴 糸球体に脂質沈着

🔴 泡沫細胞の浸潤

つまり:

血液中の脂肪がそのまま腎臓に入り込み、組織破壊を起こしている。

これは

lipid-associated nephropathy
(脂質関連腎症)

と呼ばれます。


● 84人の臨床データ

蛋白尿:35%

eGFR低下:49%

eGFR<60:8%

過剰濾過:41%

めちゃくちゃ多いです。


しかも、

高血圧と糖尿病が

  • 蛋白尿

  • 腎機能低下

の独立した悪化因子でした。


ここが最大のポイント

従来、

高TG → 急性膵炎

ばかり注目されていました。

しかし実際には:


❌ 腎臓も静かに壊れている

しかも

  • 痛くない

  • 自覚症状なし

  • 気づいた時は進行済み

という最悪のタイプ。


専門用語を超シンプルに


● eGFR

腎臓の濾過能力。

100が正常。

60以下は慢性腎臓病。


● 蛋白尿

腎臓のフィルター破壊サイン。

出た時点でアウト。


● 過剰濾過

一見eGFRが高く見えるが、

実は腎臓が無理して働いている危険状態。

糖尿病初期と同じ。


● 泡沫細胞

脂肪を大量に食べてパンパンになった免疫細胞。

動脈硬化と同じ現象。


医師としての臨床的まとめ

これはかなり重要な論文です。

なぜなら:


今まで

TG高値 → 膵炎だけ警戒


これからは

TG高値 →

✅ 尿検査
✅ eGFR
✅ アルブミン尿

も必須。


特に:

  • TG > 500

  • 糖尿病合併

  • 高血圧あり

この3つが揃った人は、

腎臓ハイリスク群

です。


最終メッセージ

この論文が教えてくれる本質は:


脂質は血管だけでなく、
腎臓の糸球体も直接壊す


そして

腎障害は“合併症”ではなく
“中核病態の一部”

です。


つまり:

重度高中性脂肪血症=腎疾患予備軍

これは今後の診療概念を変える内容です。



ロゴ決定

ロゴ決定 小川糖尿病内科クリニック

皆さま、こんにちは。 当院のロゴが決定いたしました。 可愛らしいうさぎをモチーフとして、小さなお花をあしらいました。 また、周りは院長の名字である「小川」の「O(オー)」で囲っております。 同時に、世界糖尿病デーのシンボルであるブルーサークルを 意識したロゴとなって...