ここ最近、孔子、老子、荘子、仏教、神道と、東洋思想をいろいろ読んでいる。
最初は全部かなり違うものだと思っていた。ところが読んでいくと、意外と同じ場所に戻ってくる。
それは、
「自分で全部をコントロールしようとしない」
ということだった。
孔子から感じたのは、学ぶことは何かの役に立たなくてもいいということ。資格や収入のためでなくても、知らなかったことを知る。それだけで人生は少し豊かになる。
そして中庸。これは単なる「ほどほど」ではなく、一つの正解に固執せず、その場に応じてちょうどいいところを探す感覚に近い。
老子や荘子になると、さらに力が抜ける。
出来事そのものには、最初から「良い」「悪い」と書いてあるわけではない。
雨が降る。予定が変わる。誰かがドタキャン。物事が思い通りにいかない。
まずあるのは事実だけ。
そこに、
「最悪だ」
「困った」
「この先どうなる」
と意味を足しているのは自分の頭だったりする。
もちろん、現実的な問題があれば対処すればいい。でも対処できたなら、それ以上考え続ける必要はない。
ここで役に立つのが、自分なりのコントロールテスト。
これは自分で変えられることか。
変えられるならやる。準備する。対策する。
変えられないなら、そこで手放す。
仏教でいえば執着を減らすこと。神道でいえば散らかった心を今ここに戻すこと。老荘思想でいえば流れに逆らいすぎないこと。
結局かなり近い。
荘子を読んでいて特に面白かったのは、
未来を完璧に読める人になるより、未来が読めなくても平気な人になるほうが強い
という感覚だった。
未来はそもそも固定されていない。
だったら、全部を予測して安心しようとするより、何が来てもそのとき考えればいい。
水みたいに、岩があれば横に流れる。
さらに面白いのは、最後には「道を学んでいる」という意識すら手放していくところ。
「私は執着を手放しています」
「私は悟っています」
と力んだ瞬間、それもまた新しい執着になる。
学んで、考えて、最後には忘れる。
ただ普通に暮らす。
最近の自分なりのまとめは、かなり単純だ。
事実を見る。
自分でできることだけやる。
できないことは手放す。
未来を決めつけない。
今をちゃんと生きる。
興味のあることを学び、楽しむ。
未来を当てることより、
未来が分からなくても動じないこと。
人生を完全にコントロールすることより、
変化に合わせて軽く動けること。
たぶん、このくらいがちょうどいい。


