2026/10/08

Accepting Change as It Is

 



One of the ideas I find most striking in Zhuangzi is this:

Do not let your spirit be disturbed by change. Accept change as part of nature.

Youth is good.
Old age is good.

The beginning of life is good.
And the end of life is also part of the whole.

In other words,

Stop demanding that life remain a certain way.

Do not cling to youth.
Do not resist aging.
Do not welcome only success and reject decline.

Just as spring becomes summer, and autumn becomes winter, we are always changing too.

The goal is not to stop that change.

It is to stop fighting it.

To be able to say:

This is where I am now, and this too belongs to life.

Enjoy life while it is here.
Accept aging when it comes.
And even see death as part of nature.

Change continues.

But perhaps freedom begins when the world can change without taking our inner peace with it.

2026/10/07

100億円テストの次に、100万円テストを置いてみる ――人生の「スクリーニング検査」として考える

 



前回、「もし100億円あったとしても、それをやるだろうか?」という100億円テストについて書いた。

この問いは、自分の本音を探るうえでかなり便利だと思っている。

たとえば、

「100億円あっても、今の仕事を続けたいか?」

と考えてみる。

それでも続けたいなら、その仕事そのものに何か惹かれるものがあるのかもしれない。

逆に、

「100億円あったら、たぶんやらないな」

と思うのであれば、その仕事は少なくとも「お金」「責任」「立場」「生活のため」に続けている部分がかなり大きい。

だから僕は、100億円テストを気に入っていた。

ただ、使っているうちに一つ問題が出てきた。

100億円あると、やりたいことが無限に出てくるのである。

旅行もしたい。温泉にも行きたい。ゲームもしたい。本も読みたい。クルーズにも行ってみたい。おいしいものも食べたい。

そりゃそうだ。

100億円あるのだから。

つまり、100億円テストは「本当にやりたいことを一つに絞る検査」ではない。

むしろ、

「これは本当に嫌なのか?」
「お金がなくてもやりたいのか?」

を広く拾うための検査なのだと思う。

そこで、ふと面白い考え方が出てきた。

「逆に、自由に使えるお金が100万円しかなかったら?」

これである。


100億円は「高感度スクリーニング」

医学の検査にたとえると分かりやすい。

100億円テストは、かなり感度の高いスクリーニング検査なのだと思う。

つまり、

「自分が本当にやりたい可能性があるもの」

を、とにかく広く拾う。

その代わり、たくさん引っかかる。

旅行も陽性。温泉も陽性。ゲームも陽性。クルーズも陽性。

偽陽性という言葉は少し違うけれど、要するに候補が多すぎる。

だから100億円テストだけでは、

「じゃあ結局、何を一番大切にしたいの?」

までは分からない。

でも、それでいい。

スクリーニング検査とは本来そういうものだからだ。

まず広く拾う。

そこで見つけた候補を、次の検査で絞っていけばいい。


そこで「100万円テスト」

次にこう聞く。

もし今年、自由に使えるお金が100万円しかなかったら、何に使う?

これはかなり答えが変わる。

100億円あれば、

「あれもこれも全部やりたい」

となる。

しかし100万円になると、

「いや、これは別にいらないな」

「こっちは残したい」

と、急に優先順位が見えてくる。

つまり、

100億円テストは、やりたくないものを外す。

そして、

100万円テストは、やりたいものの中から残すものを選ぶ。

そんな役割分担になる。

医学っぽく言えば、

100億円テストは感度重視。

100万円テストは、そこから特異度を上げる二次スクリーニングに近い。

もちろん本当の医学検査ではないので厳密な意味ではない。

でも、自分の人生を考える比喩としてはかなり使いやすい。


「確定診断」まではできない

ただし、ここは大事だと思う。

100万円テストで最後まで残ったものが、

「魂の活動」

「生きがい」

「天職」

だとは限らない。

そこまで言い切ると、また話が重たくなる。

クルーズが残ってもいい。

温泉でもいい。

ゲームでもいい。

家族旅行でもいい。

ただ楽しいから残るものだってある。

だから100万円テストは、確定診断というより、

「自分の限られた資源を、どこに配りたいのかを見る検査」

くらいがちょうどいい。


さらに「無観客テスト」を加える

もう一つ、自分の中で使いやすい問いがある。

それを誰にも見せられなくてもやるか?

SNSにも載せられない。

人にも自慢できない。

誰からも「すごいね」と言われない。

それでもやりたいか。

これは、他人の目や比較、ステータスを剥がすテストになる。

そう考えると、自分を知るための流れはかなりシンプルになる。

  1. 100億円テスト
    お金や義務を外して、広く「やりたい」を拾う。

  2. 100万円テスト
    限られた資源の中で、本当に優先したいものを絞る。

  3. 無観客テスト
    他人の目を消して、それでも残るかを見る。

100億円で広く拾い、100万円で絞り、無観客で他人の視線を外す。

この順番は、かなり使えそうだ。


100億円テストは、人生の答えではない

前回も書いたけれど、100億円テストは人生の答えではない。

あくまで最初のスクリーニングである。

それだけで、

「これこそ自分の使命だ!」

などと決める必要はない。

むしろ、

これは本当に自分がやりたいことなのか?
それとも、お金や立場のためだけにやっているのか?

そこを一度切り分けるだけで十分なのだと思う。

そして候補が多すぎたら、100万円にしてみる。

それでも迷ったら、誰にも見られない世界にしてみる。

それでも残るものは、かなり「自分のもの」に近い。

人生は、いきなり確定診断しなくてもいい。

まずスクリーニング。

怪しいものを拾って、少しずつ絞っていけばいい。

今のところ、僕にはそのくらいの軽さがちょうどいい。

ボードリヤールから学ぶ「消費社会」 ――私たちは、モノではなく「記号」を買っているのかもしれない

 



最近、フランスの思想家ジャン・ボードリヤールの「消費社会」という考え方を知りました。

最初は正直、少し難しい。

「消費って、普通にモノを買うことじゃないの?」

と思っていたのですが、ボードリヤールの話はもう少し違います。

彼が面白いのは、

私たちは、モノそのものを買っているだけではない。
そのモノが表している“意味”まで買っている。

と考えたところです。


車は、ただ走るためだけに買うのか

たとえば車。

本来の目的だけを考えれば、

安全に目的地まで移動できればいい。

これが車の「使用価値」です。

ところが現実には、

高級車。
スポーツカー。
SUV。
限定モデル。
最新モデル。

いろいろあります。

もちろん乗り心地や性能も違う。

でも、それだけではありません。

高級車に乗ることで、

「成功している人」

に見えるかもしれない。

あるブランドを選ぶことで、

「センスのある人」

というイメージを持てるかもしれない。

つまり車そのものだけではなく、

「その車に乗っている自分は、どういう人間なのか」

まで含めて買っている。

ボードリヤールは、こうしたものを記号として考えました。


モノは「自分を説明する言葉」にもなる

服も同じです。

寒さを防ぐだけなら、服は何枚かあればいい。

でも現実には、

ブランド。
流行。
デザイン。
価格。
希少性。

さまざまな要素があります。

ある服を着ることで、

「自分はこういう趣味の人間です」

と社会に伝える。

時計もそう。

家もそう。

ホテルもそう。

旅行先もそう。

スマホですら、

単なる電話ではなく、

自分がどういう人間であるかを示す記号

になることがあります。

だからボードリヤールにとって現代の「消費」とは、

単に必要な物を手に入れる行為ではありません。

記号を選び、それによって自分と他人との差を作る行為

でもあるわけです。


問題は「差」には終わりがないこと

ここが一番面白いところです。

お腹には限界があります。

美味しいものを食べても、

いつかは、

「もう腹いっぱい」

となる。

車だって、移動だけなら一台あれば足ります。

でも、

「他人より新しいもの」

「もっと上位のもの」

「もっと珍しいもの」

という差には、終わりがありません。

新型が出る。

すると今まで最新だったものが古くなる。

もっと高級なものが出る。

もっと希少なものが出る。

流行も変わる。

だから、

「これで十分」

となりにくい。

ここに消費社会の大きな特徴があります。


モデルチェンジは、なぜこんなに多いのか

たとえばスマホ。

今持っているスマホが普通に使えていても、新型が出ると少し気になる。

カメラが良くなった。

画面がきれいになった。

新しい色が出た。

デザインが少し変わった。

すると、

「今のでも困ってないけど、新しいの欲しいな」

と思う。

もちろん本当に便利になることもあります。

でも同時に、

「最新モデルを持っている」

ということ自体にも価値がついている。

商品そのものだけでなく、

新しい/古い

という差まで商品化されているわけです。


SNSは「記号」をさらに強くした

この話は、SNSの時代になるとさらに分かりやすい。

高級ホテルに泊まる。

海外旅行へ行く。

有名店で食事をする。

ブランド品を買う。

それをSNSに載せる。

すると、その体験そのものだけではなく、

「こんな生活をしている私」

というイメージまで生まれます。

もちろんSNSに旅行写真を載せることが悪いわけではありません。

ただ、

旅行そのものを楽しみたいのか。

それとも、

旅行している自分を他人に見せたいのか。

この二つは、同じように見えて少し違います。


「誰にも見られなくても、それをやりたいか?」

ボードリヤールの話を知ってから、自分の中で使いやすい問いが一つできました。

「誰にも見られなくても、それをやりたいか?」

SNSには載せられない。

誰にも自慢できない。

他人から羨ましがられることもない。

それでも欲しいだろうか。

それでも行きたいだろうか。

たとえば温泉。

誰にも言わなくても行きたい。

風呂に入って、

「あー、気持ちいい」

と思いたい。

それなら、かなり自分自身の楽しみに近い。

家族旅行もそう。

写真を誰にも見せなくても、

家族とその場所へ行きたい。

子どもと一緒に楽しみたい。

それなら、他人との差を買っているだけではなさそうです。


クルーズ旅行だって、別に悪くない

高級な旅行やクルーズも同じです。

値段が高いから悪いわけではありません。

贅沢だから悪いわけでもない。

本当にクルーズそのものが好きで、

家族で行って、

「いやー、楽しかったな」

と思えるなら、それでいい。

問題なのは、

「他人より豪華な旅行をしたい」

「SNSで羨ましがられたい」

「次はもっと高級な船に乗りたい」

という差そのものが目的になっていくことです。

そうなると、

旅行を楽しむというより、

「旅行する自分」という記号を追いかけ始める。

ここがボードリヤール的には重要なんだと思います。


「100億円テスト」とも相性がいい

僕は時々、

「もし100億円持っていても、それをやるか?」

という問いを使います。

これは人生の答えを出すテストではなく、あくまでスクリーニングです。

お金を稼ぐ必要がなくてもやるなら、

少なくとも、

「お金のためだけに嫌々やっている」

ものではない可能性が高い。

そこにもう一つ、

「誰にも知られなくてもやるか?」

を重ねる。

100億円あってもやる。

しかも誰にも見せなくてもやる。

それなら、かなり自分自身の欲望に近づいている気がします。


欲望は、全部「自分のもの」なのか

もちろん、人間は社会の中で生きています。

完全に他人から影響されない欲望なんて、おそらくありません。

誰かが食べているのを見て食べたくなる。

友達の旅行を見て行きたくなる。

広告を見て商品を知る。

それ自体は普通のことです。

だから、

「広告に影響された欲望は全部偽物だ」

というほど単純ではない。

大切なのは、

一度、自分のところへ欲望を戻してみること

なのだと思います。

「これ、本当に俺が欲しいのかな?」

「これ自体が好きなのかな?」

「それとも、それを持っている自分が好きなのかな?」

そんなふうに一回だけ考えてみる。

それだけでも、かなり違います。


「楽しむ」と「記号を追う」は違う

ボードリヤールの話を自分なりにかなり単純化すると、

物や体験を楽しむことそのものを否定しているわけではない。

問題は、

物や体験を通して、終わりなく「差」を追い続けること

です。

楽しいからゲームをする。

気持ちいいから温泉へ行く。

家族と行きたいから旅行する。

好きだから服を買う。

それでいい。

でも、

「他人より上でありたい」

「最新でありたい」

「羨ましがられたい」

という理由だけになってきたら、

一度立ち止まってみる。


誰にも見られない人生でも、それを選ぶか

結局、僕がボードリヤールから一番面白いと思ったのは、この問いでした。

「私は、モノを楽しんでいるのか。
それとも、モノが表す“自分のイメージ”を買っているのか。」

誰にも見られない。

誰にも褒められない。

SNSにも載せられない。

それでもやりたい。

それなら、たぶんかなり自分の側にある。

消費社会から完全に降りる必要なんてない。

便利なものも使えばいい。

旅行もすればいい。

贅沢だってすればいい。

ただ時々、

「これは本当に自分が欲しいものか?」

と確かめる。

それくらいが、ボードリヤールを日常生活に持ち込むには、ちょうどいい気がしています。

100億円テストは、人生の答えではない




最近、自分の中でよく使っている問いがある。

「もし100億円あったとしても、それをやるだろうか?」

仕事でも、趣味でも、旅行でもいい。

この問いはかなり強い。

今やっていることが、単にお金のためなのか。
それとも、お金に困っていなくてもやりたいことなのか。

その違いが見えやすくなる。

だから僕は、これを勝手に「100億円テスト」と呼んでいる。

ただ最近、このテストを使いすぎて少し混乱していた。

「100億円あってもやることなら、それは生きがいなのか?」
「魂の活動なのか?」
「豪華旅行やクルーズに行きたいと思うのは、資本主義に欲望を作られているだけなのか?」

考えていくうちに、どうも話がおかしくなってきた。

たぶん原因は単純だった。

100億円テストに、仕事をさせすぎていた。

100億円テストは「スクリーニング試験」でしかない

医療でいうスクリーニング検査は、それだけで最終診断をつけるものではない。

まず、

「この可能性はありそうか?」

をざっくりふるいにかけるための検査である。

100億円テストも、それと同じくらいに考えればいいのだと思う。

分かるのは、

「これはお金のためだけにやっていることなのか?」

ということ。

もし100億円持っていてもやりたいなら、少なくとも、

「生活費のために嫌々やっているだけ」

ではない可能性が高い。

ここまでは分かる。

でも、

100億円あってもやる
= 生きがい
= 魂の活動

ではない。

100億円テストは、あくまで一次スクリーニングなのだ。

100億円あっても、温泉には行きたい

たとえば100億円あったら、僕だって温泉には行きたい。

美味しいものも食べたい。
旅行もしたい。
ゲームもするだろう。

全部100億円テストには合格する。

でも、それらを全部「生きがい」と呼ぶのは変だ。

だから、その先は別に考えればいい。

人生の楽しみには、いろいろな種類がある。

まずは、快楽・レジャー。

温泉。
美食。
ゲーム。
旅行。
クルーズ。

「楽しい」「気持ちいい」「一度やってみたい」。

これだけで十分である。

次に、価値ある経験。

家族旅行。
子どもが小さい時期の思い出。
知らない土地を見ること。
自然に触れること。

単なる消費ではなく、その時間自体に価値を感じるもの。

そして、魂の活動。

考える。
学ぶ。
上達する。
作る。
深める。

その活動そのものに熱があるもの。

読書、哲学、創作、研究、スポーツ、子育て。

何がそこに入るかは、人によって全然違う。

大切なのは、この三つに上下関係はないということだと思う。

クルーズ旅行は、ただ楽しくてもいい

たとえばディズニークルーズに行く。

それが単に、

「楽しそうだから行きたい」

でもいい。

家族で行って、

「楽しかったね」

で終わっていい。

子どもが小さい時の思い出になれば、それは価値ある経験にもなる。

別に毎回、

「これは魂の活動なのか?」

と判定する必要はない。

温泉に入って、

「あー、気持ちいい」

で終わっていいのだ。

人生の全部を、高尚な意味で満たそうとすると、それはそれで苦しくなる。

100億円テストの次に、必要なら別の問いを置けばいい

もしもう少し考えたいなら、100億円テストとは別に違う問いを使えばいい。

たとえば、無観客テスト。

誰にも見せられなくても、それでもやりたいか?

SNSにも載せられない。
誰にも自慢できない。
誰からも羨ましがられない。

それでもやりたいなら、かなり自分自身の欲望に近い。

次に、満足テスト。

一度やったあと、ちゃんと満足できるか?

それとも、

「次はもっと高いもの」
「もっと豪華なもの」
「もっと特別な体験」

と、欲望が際限なく膨らんでいくのか。

そして、魂テスト。

その活動自体を、もっと深めたいと思うか?

結果だけではなく、その過程そのものに熱があるか。

こうして分ければいい。

100億円テスト
→ お金のためだけにやっているのか

無観客テスト
→ 他人の目を抜いてもやりたいのか

満足テスト
→ 欲望が満たされるのか、際限なく増えるのか

魂テスト
→ その活動そのものを深めたいのか

でも、毎回全部やる必要はない。

100億円テストだけで十分な時もある。

あくまで全部、人生を裁くための試験ではなく、自分を見るための道具である。

人生は、全部を魂の活動にしなくていい

結局、ここに落ち着いた。

人生には、

魂の活動があってもいい。

家族との価値ある経験があってもいい。

くだらなくて楽しいレジャーもあっていい。

そして、

何もしない余白もあっていい。

むしろ、それくらい混ざっている方が自然なのだと思う。

哲学だけでも疲れる。
旅行だけでも飽きる。
快楽だけでは虚しくなることもある。
使命感だけでも重たい。

だから結局は、中庸なのだと思う。

100億円テストは、人生の答えではない。

「これは本当に自分がやりたいことなのか?」

をざっくり見るための、一つのスクリーニング試験にすぎない。

それくらいの距離感で使うのが、ちょうどいいのだと思う。

What Laozi Made Me Think About

 



One idea stayed with me today:

We add too much to life.

More knowledge.
More money.
More recognition.
More growth.

But Laozi seems to point in the opposite direction.

Don’t compete too much.
Don’t desire too much.
Don’t control too much.
Don’t try too hard to prove yourself.

Wu wei is often translated as “non-action,” but I think it is closer to this:

Don’t interfere more than necessary.

Another phrase I liked was “harmonize your light and mingle with the dust.”

In simple terms:

You may be capable, but you don’t need to show it off.
You may know a lot, but you don’t need to dominate the room.
You may be strong, but you don’t need to use force.

There is a quiet strength in that.

It also reminded me of an old idea:

Cross even a shallow river as if it were deep.

Don’t become careless just because something looks easy.
Don’t assume you already understand.

Maybe Laozi’s message is surprisingly simple:

Less “more.”
More “enough.”

Less forcing.
More flowing.

Less proving.
More being.

2026/10/06

Laozi: Stop Chasing, Stop Forcing

 



The more I read Laozi, the more modern his philosophy feels.

Modern life keeps telling us to want more.

More money.
More status.
More knowledge.
More success.

Laozi asks a very different question:

What if peace comes not from getting more, but from needing less?

In the Tao Te Ching, Laozi repeatedly warns against constantly stimulating desire.

When society praises wealth, talent, status, and rare things too much, people begin comparing themselves.

Comparison creates competition.

Competition creates anxiety.

And eventually, we forget what “enough” feels like.

We may think we are following our own desires, when in reality we are following desires created by society.

Wu Wei — Stop Forcing Life

One of Laozi’s central ideas is wu wei, often translated as “non-action.”

But it does not mean doing nothing.

It means:

Do not force what does not need to be forced.

Water does not fight rocks.

It flows around them.

Yet over time, water can reshape stone.

That is Laozi’s kind of strength.

Not pushing harder.

Not controlling everything.

But staying flexible enough to move with reality.

Protect Your Inner World

Laozi also seems to say that the mind needs space.

If every opinion, comparison, criticism, and social signal enters directly into us, we eventually lose our center.

Sometimes the answer is not to argue.

Sometimes it is simply to step away.

Walk.

Be alone.

Go into nature.

Become quiet.

And listen to your own mind again.

Maybe We Don’t Need More

Laozi’s philosophy is not really about giving everything up.

It is about removing what is unnecessary.

Less comparison.

Less noise.

Less forcing.

Less manufactured desire.

And underneath all of that, something simple remains.

A clear mind.
A quiet life.
Enough.

Maybe wisdom is not about adding more to life.

Maybe it is about removing what prevents us from seeing what is already there.

2026/10/05

Laozi and Zhuangzi: Learning to Live More Lightly

 



Recently, I’ve been reading Laozi and Zhuangzi, and one idea keeps coming back to me:

Maybe life becomes easier when we stop trying to control everything.

Laozi speaks of wu wei — often translated as “non-action.” But it does not mean doing nothing.

It means not forcing things unnecessarily.

Instead of constantly pushing, controlling, and trying to make life fit our plans, we learn to move with changing circumstances.

Water is the classic image. It is soft, but it keeps moving. When it meets a rock, it does not fight the rock. It flows around it.

That kind of flexibility may be a form of strength.

We often suffer because we become too attached to ideas like:

“I must live this way.”

“This is the correct path.”

“I should become this kind of person.”

But life changes. We change too.

Zhuangzi takes this even further.

He questions the categories we use to judge the world: success and failure, good and bad, happiness and unhappiness.

From one point of view, something may look like a failure. From another, it may become an important turning point.

So perhaps we do not always need to decide immediately whether something is “good” or “bad.”

Sometimes it is enough to observe.

Even our idea of “self” may be less fixed than we think.

The person we are at work, with family, alone, or while traveling can all be different. There may not be one permanent version of “me” that must be protected forever.

That means it is okay to change direction.

To change your mind.

To stop something that no longer fits.

And perhaps one of the most attractive parts of Zhuangzi is his lightness.

We do not need to fight every opinion or prove that our way is correct.

Sometimes we can simply think:

“Interesting. That is one way of seeing it.”

And move on.

In the end, Laozi and Zhuangzi seem to point toward a simpler way of living:

Force less.
Judge less.
Cling less.
Adapt more.
Pay attention to the flow.

Life does not have to be a project that we completely solve.

Maybe it is something we keep adjusting to, moment by moment.

ロゴ決定

ロゴ決定 小川糖尿病内科クリニック

皆さま、こんにちは。 当院のロゴが決定いたしました。 可愛らしいうさぎをモチーフとして、小さなお花をあしらいました。 また、周りは院長の名字である「小川」の「O(オー)」で囲っております。 同時に、世界糖尿病デーのシンボルであるブルーサークルを 意識したロゴとなって...