「ダイバーシティ」という言葉は、普通は「人と人の違い」を表すものとして使われます。
性別、年齢、国籍、文化、職業、専門分野、価値観の異なる人たちが一緒にいる。その違いを排除するのではなく、組織や社会の力として生かしていこう、という考え方です。
ところが、ダイバーシティにはもう一つ、「人と人の間」ではなく、「一人の人間の中」に注目する考え方があります。
それがイントラパーソナル・ダイバーシティ、すなわち「個人内多様性」です。少し短く「イントラダイバーシティ」と呼ばれることもあります。
言葉は難しそうですが、考え方は意外と身近です。
一人の人間の中には、仕事で得た専門知識だけでなく、家庭での役割、趣味、読書、旅行、失敗、友人関係、異文化との接触などを通じて得た、さまざまな「世界の見方」があります。
医師であり、経営者でもあり、親でもあり、一人の生活者でもある。
論理的に考える自分がいる一方で、感情や直感から考える自分もいる。
安定を大切にする部分がありながら、新しいことを試したい部分もある。
イントラパーソナル・ダイバーシティとは、このように、一人の中に複数の経験、役割、専門性、価値観、思考方法が存在し、必要に応じてそれらを使い分けたり、組み合わせたりできることを指します。
ただし、ここで大切なのは、単に「いろいろ経験した人」という意味ではないことです。
本当の価値は、バラバラの経験を持っていることではなく、異なる経験の間を行き来し、別の問題に応用できることにあります。
個人内多様性とは、頭の中に複数の「地図」があること
イントラパーソナル・ダイバーシティを、「頭の中に複数の地図を持っている状態」と考えると分かりやすくなります。
同じ出来事でも、どの地図を使うかによって見え方は変わります。
たとえば、仕事の現場で、ある人が指示どおりに動いてくれなかったとします。
管理する立場だけで考えれば、
「なぜ決められたことができないのか」
「もっときちんと指示しなければならない」
と思うかもしれません。
ところが、心理学的な地図を使えば、
「指示の意味を本人が理解できていなかったのではないか」
「失敗を恐れて動けなかったのではないか」
「本人にとっての動機づけが存在しなかったのではないか」
と考えられます。
教育の地図を使えば、
「説明を一度しただけで、できるようになると考えたことに無理がなかったか」
「小さな段階に分けて教えたほうがよかったのではないか」
という見方ができます。
組織の地図を使えば、
「個人の能力ではなく、仕事の流れや役割分担に問題があるのではないか」
と考えることもできます。
どれか一つだけが正解なのではありません。
現実の問題には、複数の原因が重なっていることが多いため、一つの地図だけでは全体を捉えきれないのです。
個人内多様性がある人は、最初に浮かんだ説明へすぐに飛びつかず、
「別の地図で見たら、これはどう見えるだろう」
と考え直すことができます。
これが、個人内多様性のもっとも実用的な働きです。
「人と人の違い」と「一人の中の違い」
一般的なダイバーシティは、人と人の間に異なる知識や視点が存在する状態です。
技術者、営業担当者、デザイナーが一緒に働けば、チームの中には三つの専門的な視点があります。
これに対して個人内多様性は、一人の人間が技術、営業、デザインなど、複数の世界をある程度理解している状態です。
| 観点 | 人と人の間の多様性 | 一人の中の多様性 |
|---|---|---|
| 多様性の場所 | メンバー同士 | 一人の内部 |
| 主な材料 | 属性、専門、文化、経験の違い | 複数の経験、役割、知識、価値観 |
| 強み | 一人では持てない知識を集められる | 異なる分野を内部で比較・翻訳できる |
| 弱点 | 誤解、対立、専門用語の壁 | 迷い、浅さ、役割の衝突 |
| 必要なもの | 対話、信頼、調整 | 切り替え、振り返り、統合 |
この二つは、どちらかを選ぶものではありません。
人と人の間に違いがあるから、組織には新しい知識が持ち込まれます。一人の中に複数の視点がある人がいるから、その違いをつなぎやすくなります。
たとえば、専門家を何人集めても、それぞれが自分の立場からしか話せなければ、専門知識がうまく結びつきません。
技術者は技術的な安全性を語り、営業は顧客の要望を語り、経営者は費用を語る。全員が正しいことを言っているのに、話がまとまらないことがあります。
このとき、技術と営業の両方を経験した人は、
「営業が求めているのは、この機能そのものではなく、顧客の不安を減らすことです」
「技術側が反対しているのは、協力したくないからではなく、安全性を確認できないからです」
と翻訳できます。
個人内多様性のある人は、すべての分野で最高の専門家である必要はありません。
むしろ、その人の特徴は、異なる専門家がなぜそのように考えるのかを理解できることです。
学術的には、どのような概念なのか
ここは少し丁寧に整理する必要があります。
「イントラパーソナル・ダイバーシティ」という名前の、すべてを説明する一つの完成した心理学理論があるわけではありません。また、医学的な診断名でも、性格を一つの点数で測るための統一された心理尺度でもありません。
研究分野によって、意味が少しずつ違います。
経営学では、主に「一人が経験してきた職務や専門分野の幅」として研究されてきました。
文化や組織の研究では、「一人の中に、複数の文化的な価値観や組織観が存在すること」として扱われます。
心理学には、個人内多様性と完全に同じ概念はありませんが、認知的柔軟性、創造性、自己複雑性、メタ認知、多文化経験といった研究が深く関係しています。
したがって、個人内多様性は、一つの独立した心理機能というより、次のような複数の要素をまとめて捉えるための考え方です。
異なる経験や知識を持っていること
複数の立場や役割を理解していること
一つの問題を異なる角度から見られること
状況に応じて見方を切り替えられること
異なる知識を結びつけられること
自分の考え方そのものを振り返れること
ここを曖昧にすると、「趣味が多い人は個人内多様性が高い」「転職回数が多ければ創造的になる」という雑な話になってしまいます。
実際には、経験の数だけでなく、その経験をどれくらい理解し、現在の問題に利用できるかが重要です。
経営学で示された「異なる世界を理解する人」の価値
個人内多様性を経営学で明確に扱った代表的な研究が、J・スチュアート・バンダーソンとキャスリーン・サトクリフによる2002年の論文です。
研究者たちは、経営チームの職務上の多様性には、二つの種類があると考えました。
一つは、異なる専門家が集まっていることです。
営業の専門家、財務の専門家、製造の専門家、人事の専門家が、それぞれ別の人として同じチームにいる状態です。
もう一つは、チームの一人ひとりが、複数の職務を経験していることです。
営業を担当している人が、過去には製造や商品開発を経験している。財務担当者が、顧客対応や海外事業にも関わったことがある。このような経験の幅を、研究者たちは「個人内の職能的多様性」と表現しました。
調査では、一人ひとりの職務経験の幅が広いチームほど、情報共有や事業単位の業績が良好な傾向が見られました。
一方、異なる専門家がただ集まっているだけの状態では、必ずしも同じ結果になりませんでした。
異なる専門家を集めれば、チームが持つ知識の総量は増えます。しかし、それぞれが自分の専門用語と価値基準だけで話すと、対立や誤解が起こります。
複数の分野を経験した人は、それぞれの専門家が何を大切にし、何を恐れているのかを理解しやすくなります。
製造部門の慎重さを「やる気がない」と決めつけず、安全や品質を守ろうとしていると理解する。営業部門の急な要望を「無責任」と切り捨てず、顧客との約束や競争上の事情があると理解する。
このように、複数の世界を経験した人は、専門分野の間にある「見えない壁」を越えやすくなります。
ただし、この研究は企業の経営チームを対象とした観察研究です。個人内多様性を増やす介入を行い、その前後を比較した実験ではありません。
したがって、職務経験の幅そのものが業績を向上させたのか、もともと能力の高い人が複数の職務を任されたのかは、完全には区別できません。
それでも、「異なる専門家がいること」と「一人が異なる専門分野を理解していること」は、チームに対して異なる働きを持つと示した重要な研究です。
原論文:Bunderson & Sutcliffe(2002), Comparing Alternative Conceptualizations of Functional Diversity in Management Teams
心理学との接点①――認知的柔軟性
個人内多様性が実際に役立つには、持っている知識を状況に応じて切り替える必要があります。
ここで関係するのが、心理学の「認知的柔軟性」です。
認知的柔軟性とは、状況の変化に合わせて、注意、ルール、考え方、問題の捉え方を切り替える能力です。
たとえば、うまくいかない出来事に出会ったとき、
「本人の努力が足りない」
という説明しかできなければ、その後の対応も「もっと頑張らせる」に限られます。
ところが、
「能力が足りないのかもしれない」
「説明が伝わっていないのかもしれない」
「環境が行動を妨げているのかもしれない」
「目標そのものに納得していないのかもしれない」
「疲労や不安が強いのかもしれない」
と考えられれば、対応の選択肢が増えます。
認知的柔軟性は、正解をたくさん知っている能力ではありません。いま使っている説明がうまく機能しないときに、別の説明へ移れる能力です。
個人内多様性を道具箱に例えるなら、認知的柔軟性は、必要に応じて道具を持ち替える力です。
ただし、道具の数が多いだけでは十分ではありません。
ドライバーしか必要でない場面で、ハンマー、のこぎり、ペンチを次々に試せば、かえって非効率です。大切なのは、問題に合う視点を選ぶことです。
つまり、個人内多様性には「多くの見方を持つ能力」と「その中から適切な見方を選ぶ能力」の両方が必要です。
予想外の経験は、思考の固定を緩める
認知的柔軟性と多様な経験の関係を調べた研究として、シモーネ・リッターらが2012年に発表した実験があります。
私たちは、日常生活で「この場面ではこうなる」という予測を使っています。
レストランでは席に案内され、メニューを見て、料理を注文する。物を手から離せば下に落ちる。誰かに挨拶をすれば、何らかの反応が返ってくる。
このような、場面についての知識のまとまりを、心理学では「スキーマ」と呼びます。
スキーマは、頭の中に保存された「いつもの台本」のようなものです。
台本があるから、私たちは毎回すべてを考え直さずに生活できます。しかし、台本が強くなりすぎると、過去の方法が通用しない場面でも、同じ考え方を繰り返してしまいます。
リッターらの実験では、参加者が仮想現実などを使って、日常の予測に反する出来事を経験しました。別の実験では、いつもとは異なる順序で作業し、通常のスキーマがそのまま使えない状況を体験しました。
その後に創造的思考を測る課題を行うと、予想外の出来事へ能動的に参加した人は、普通の経験をした人や、他人の体験を眺めただけの人よりも、柔軟な発想を示しました。
ポイントは、「変わったものを見たこと」だけではありません。
自分がその状況に入り、自分の予想が外れ、別の理解を作らなければならなかったことが重要でした。
予想が外れると、
「自分が当然だと思っていたルールは、絶対ではない」
と気づきます。そこで初めて、別の説明や別の方法を探し始めます。
これは、個人内多様性が育つ一つの過程だと考えられます。
ただし、この研究は比較的小規模な実験であり、確認されたのは主に体験直後の認知的柔軟性です。
「予想外の経験を積めば、長期的に創造的な人物になれる」と証明されたわけではありません。そこまで広げるのは推測になります。
比較的確かに言えるのは、予想外の経験に自分から関わることが、少なくとも短期的には、固定した思考を緩める可能性があるということです。
原論文:Ritter et al.(2012), Diversifying Experiences Enhance Cognitive Flexibility
心理学との接点②――創造性と「遠い連想」
個人内多様性と深く関係するもう一つのテーマが、創造性です。
心理学者サーノフ・メドニックは1962年に、創造的な思考を「互いに離れた要素を、新しく有用な形で結びつけること」と説明しました。
創造性は、完全な無から何かを生み出す魔法ではありません。
すでに存在する知識Aと、別の場所にある知識Bをつなぎ、新しいCを作ることです。
たとえば、航空業界の安全確認方法を手術室へ応用する。ゲームの仕組みを教育や運動習慣に応用する。物語の構成をプレゼンテーションに利用する。
これらは、異なる世界に存在していた知識の再結合です。
一つの分野しか知らない場合、頭の中にある材料は、その分野の知識へ偏ります。
一方、複数の世界を経験している人の中には、異なる材料があります。材料の種類が増えれば、組み合わせの可能性も増えます。
ただし、知識が多ければ、自動的に創造性が高くなるわけではありません。
離れた知識の間に共通点を見つけ、別の問題に合う形へ変換する必要があります。
たとえば、「ゲームを医療に取り入れる」と言うだけでは、まだ漠然としています。
ゲームのどの要素を使うのか。点数なのか、物語なのか、小さな達成感なのか、仲間との協力なのか。医療のどの問題に使うのか。運動の継続なのか、服薬なのか、学習なのか。
このように分解して初めて、ゲームの知識を医療へ移せます。
個人内多様性とは、頭の中の材料の多さであると同時に、材料を加工して別の場所へ運ぶ力なのです。
原論文:Mednick(1962), The Associative Basis of the Creative Process
心理学との接点③――異文化経験と複数の「常識」
異文化経験も、一人の中に複数の見方を作る可能性があります。
ウィリアム・マダックスとアダム・ガリンスキーは、海外生活経験と創造性の関係を複数の研究で調べました。
そこで重要だったのは、単に外国へ行ったことではありませんでした。
海外に住み、現地の文化に適応しようとした経験が、創造性との関係を示しました。
旅行しても、自分と同じ文化の人だけで行動し、自分が慣れた食事や生活を続ければ、考え方はそれほど変わらないかもしれません。
一方、現地の人と生活し、
「なぜ、この場面でこのように行動するのだろう」
「自分には失礼に感じるが、ここでは別の意味があるのかもしれない」
「自分にとっての常識は、世界共通ではなかった」
と考えると、頭の中に別の文化的な地図が作られます。
異文化に適応するとは、自分の価値観を捨てることではありません。
自分の見方に加えて、別の文化では同じ出来事がどう見えるのかを理解することです。
一つしかなかった「普通」が、複数になるわけです。
ただし、海外生活と創造性の関係には、自己選択の問題があります。
もともと好奇心や柔軟性が高い人が、海外生活を選んでいる可能性があります。そのため、「海外生活をすれば創造性が上がる」と単純には断定できません。
研究では、過去の異文化適応経験を思い出させる実験も行われています。それでも、海外生活そのものを無作為に割り当てることはできないため、因果関係には慎重さが必要です。
比較的蓋然性が高いのは、珍しい場所へ行くこと自体より、自分と違う考え方に出会い、自分の理解を作り直した経験が重要であるという解釈です。
原論文:Maddux & Galinsky(2009), Cultural Borders and Mental Barriers
関連論文:Leung et al.(2008), Multicultural Experience Enhances Creativity: The When and How
心理学との接点④――メタ認知
多様な経験を持っていても、自分がどの立場から考えているのか分からなければ、経験をうまく使い分けられません。
そこで必要になるのが「メタ認知」です。
メタ認知とは、自分の考え方や理解の状態を、一段上から観察する働きです。
簡単に言えば、
「自分はいま、どの地図を使って考えているのだろう」
と気づく力です。
たとえば、部下や家族に腹が立ったとき、
「自分はいま、管理する側の都合だけから見ている」
「自分の成功経験を基準にして、相手も同じようにできると考えている」
「事実そのものより、自分の期待を裏切られたことに反応している」
と気づければ、別の見方へ移れます。
メタ認知がなければ、現在の見方が「唯一の事実」のように感じられます。
メタ認知があると、
「これは事実そのものではなく、自分が現在使っている解釈の一つだ」
と考えられます。
個人内多様性を生かすためには、複数の視点を持つだけでなく、いま使っている視点を自覚する必要があります。
メタ認知は、頭の中にあるさまざまな視点を整理する「司令塔」に近い働きをします。
心理学との接点⑤――自己複雑性
一人の中の多様性は、知識や思考方法だけではありません。
「自分をどのような人間だと考えているか」にも、多様性があります。
心理学には「自己複雑性」という概念があります。
自分を、
「会社員としての自分」
「親としての自分」
「友人としての自分」
「趣味を楽しむ自分」
「一人で静かに過ごす自分」
など、複数の側面から捉えている状態です。
一つの役割だけが自分のほぼすべてを占めていると、その役割で失敗したときに、自分全体が否定されたように感じることがあります。
複数の自己側面があれば、仕事でうまくいかない日でも、親としての自分、友人としての自分、趣味を楽しむ自分まで失われるわけではありません。
その意味では、自己の多様性が、心理的な支えになる可能性があります。
ただし、「役割が多いほど幸福になる」とは断定できません。
自己複雑性に関する研究をまとめたレビューでは、自己複雑性と心理的健康の関係は弱く、研究によって結果がかなり異なっていました。
複数の役割は支えになる一方で、役割同士の衝突を起こすことがあります。
仕事人として求められることと、親として大切にしたいことが対立する。管理職として厳しく判断する自分と、仲間として関係を守りたい自分が衝突する。
したがって、自己の多様性は、自動的に心を安定させるものではありません。
複数の役割を持っていることより、それぞれを自分の中でどのように位置づけ、無理なく共存させているかが大切です。
関連論文:Rafaeli-Mor & Steinberg(2002), Self-Complexity and Well-Being
個人内多様性をどう生かすか
では、この考え方を、実際の生活にどう生かせばよいのでしょうか。
ここで最初に伝えておきたいのは、新しい経験を大量に増やす必要はないということです。
資格を次々に取る、無理に転職する、趣味を増やす、海外へ行く。このような行動をしなければ、個人内多様性を育てられないわけではありません。
多くの人はすでに、自分の中にさまざまな経験を持っています。
仕事、家庭、人間関係、読書、趣味、病気、失敗、旅行、子育て、介護、挫折、成功。問題は、これらを「別々の出来事」として保存していることです。
個人内多様性を生かすとは、すでに持っている経験の間に橋を架けることです。
「この経験は、別の場所で使えないか」と考える
一つの経験から、その場所だけで通用する細かな手順ではなく、他の場面でも使える原理を取り出します。
たとえば、子育てでは、正しいことを説明するだけで子どもが動くとは限りません。
本人が理解できる言葉を使う。小さな選択肢を与える。楽しい要素を入れる。できたことに反応する。疲れているときには無理に説得しない。
こうした経験から、
「人は正論だけでは動かない」
「相手の理解と感情に合わせた伝え方が必要である」
「本人が選んだ感覚が、行動につながる」
という一般的な原理を取り出せます。
これは子育てだけでなく、患者さんへの説明、スタッフの育成、家族との相談などにも利用できます。
経験を生かすとは、同じ行動を別の場所で繰り返すことではありません。経験の中にある原理を取り出して、別の状況に合わせて変形することです。
行き詰まったら、立場を意識的に変える
何かに行き詰まったとき、すぐに答えを出そうとするのではなく、視点を切り替えてみます。
「専門家として見たらどうか」
「初めて経験する人にはどう見えるか」
「相手の立場なら何を心配するか」
「家族の立場なら何を大切にするか」
「一年後の自分から見ると、この問題はどれくらい重要か」
この問いに唯一の正解はありません。
目的は正解を当てることではなく、現在の見方が唯一ではないと気づくことです。
過去の自分を、別の人のように扱う
人は、過去の自分の失敗を「恥ずかしい記憶」として封じ込めがちです。
しかし、以前の自分も、現在の自分とは少し違う視点を持った存在です。
「当時の自分は、何を大切にしていたのか」
「なぜ、その選択が正しいと思ったのか」
「現在の自分には見えて、当時は見えていなかったものは何か」
「反対に、現在の自分が忘れているものはないか」
と考えると、過去の自分も個人内多様性の一部になります。
現在の価値観だけで過去を裁くのではなく、過去と現在の自分を対話させるわけです。
異なる分野を無理に一つへまとめない
すべての経験を、きれいな一つの物語にまとめる必要はありません。
論理的に考える自分と、感覚を大切にする自分がいてもよい。安定を求める自分と、変化を求める自分がいてもよい。仕事を大切にしてきた自分と、もう仕事だけに縛られたくない自分がいてもよい。
個人内多様性とは、矛盾をすべて消すことではありません。
状況によっては、複数の価値観が両立しないこともあります。その場合は、どちらが本物の自分かを決めるのではなく、
「いま、この場面では何を優先するか」
を決めます。
自分の中に矛盾があることと、自分が壊れていることは同じではありません。
むしろ、異なる要求を理解できるからこそ、簡単に答えを決められない場合があります。
発散する時間と、決める時間を分ける
個人内多様性の高い人は、多くの可能性に気づく反面、考えが広がりすぎることがあります。
Aにも利点がある。Bにも理由がある。Cという方法も考えられる。さらに長期的にはDも無視できない。
多面的に考えられることは長所ですが、いつまでも選択肢を増やしていると、決断できません。
そこで、「発散」と「収束」を分けます。
発散とは、可能性を広げる段階です。この段階では、矛盾していても、実現できるか分からなくても、さまざまな視点を出します。
収束とは、目的や条件に照らして、選択肢を絞る段階です。
たとえば最初の15分は、
「どのような見方ができるか」
を考える。
その後は、
「今回もっとも大切な目的は何か」
「絶対に避けたいことは何か」
「現実的に実行できるものはどれか」
という基準で決める。
個人内多様性は、選択肢を増やす力としては優れています。しかし、最終的な意思決定には、別途、優先順位が必要です。
広さと深さは対立しない
個人内多様性を語ると、「一つのことを深く学ぶのと、幅広く経験するのはどちらがよいのか」という疑問が出てきます。
答えは、どちらか一方ではありません。
幅広い知識があっても、それぞれが表面的なら、実際の問題に応用できないことがあります。
反対に、一つの分野を深く理解していても、外部の考え方をまったく受け入れなければ、過去の方法から抜け出しにくくなります。
望ましいのは、中心となる深い領域を持ちながら、その周囲に少し離れた経験や知識がある状態です。
深い専門性は「根」です。
異なる経験は「枝」です。
認知的柔軟性は、枝から枝へ移動する力です。
メタ認知は、自分がいま木のどこにいるのか確認する働きです。
そして創造性は、離れた枝同士がつながり、新しい実を生み出すことだと考えられます。
すべての分野で専門家になる必要はありません。
自分の中心を持ちながら、別の世界を理解できる程度に近づき、必要なときには専門家と話せる。これだけでも、ものの見方は大きく広がります。
個人内多様性が裏目に出るとき
多様性には、必ず利点と負担の両方があります。
一人の中に多くの視点があると、次のような問題も起こり得ます。
第一に、何を考えても反対意見が自分の中から出てきます。
挑戦したいと思えば、慎重な自分が危険を指摘する。休みたいと思えば、責任感の強い自分が罪悪感を持ち出す。合理的に決めようとすれば、感情を大切にする自分が納得しない。
これは優柔不断に見えるかもしれませんが、必ずしも能力不足ではありません。多くの事情が見えるから、単純に決められないのです。
ただし、見えている事情をすべて満たそうとすると動けなくなります。最後には、今回どの価値を優先するか決める必要があります。
第二に、経験の幅が広がりすぎると、中心が分からなくなることがあります。
さまざまな分野に関心を持ち、次々に活動を増やすと、時間と注意が分散します。個人内多様性を高めるつもりが、単に忙しくなってしまうこともあります。
第三に、複数の役割が衝突します。
仕事人としての責任、親としての責任、配偶者としての関係、自分自身の休息。すべてを完全に満たすことはできません。
この場合に必要なのは、すべての役割を均等に守ることではなく、時期や状況によって配分を変えることです。
よい個人内多様性とは、すべての自分を同時に最大化することではありません。
複数の自分がいることを認めたうえで、現在の場面では誰に前へ出てもらうか決められることです。
では、何から始めればよいのか
特別な訓練を始めなくても、日常の中で個人内多様性を使うことはできます。
一日の終わりや、何かに行き詰まったときに、次のような問いを一つだけ考えてみます。
「自分はいま、どの立場からこの問題を見ているのだろう」
そして、
「別の立場から見たら、何が違って見えるだろう」
と続けます。
仕事の問題なら、専門家、利用者、初心者、家族、第三者など、視点を一つ変えてみます。
次に、
「以前の別の経験で、似た構造はなかったか」
と考えます。
同じ内容を探す必要はありません。
職場の問題と子育て、医療と旅行、組織運営とスポーツなど、表面上は違っていても、構造が似ていることがあります。
最後に、
「その経験から、今回使えそうなものを一つだけ選ぶ」
ところまで進めます。
全部を使おうとしなくてかまいません。
個人内多様性を生かす流れは、次のように整理できます。
気づく → 視点を変える → 過去の経験とつなぐ → 今回使うものを一つ選ぶ
この流れを繰り返すと、過去の経験が、単なる記憶ではなく、現在の問題を考えるための材料になっていきます。
科学的には、どこまで言えるのか
最後に、研究から確かに言えることと、まだ推測を含むことを分けておきます。
比較的直接的な研究では、複数の職務経験を持つ人が多い経営チームほど、情報共有や業績が良好な傾向が報告されています。
心理実験では、予想外の出来事に能動的に関わることで、直後の認知的柔軟性が高まる結果が示されています。
異文化研究では、単なる海外滞在よりも、異文化へ適応し、自分の考え方を調整した経験が、創造性と関係していました。
ここから、比較的蓋然性が高いと考えられるのは、次の内容です。
異なる領域に能動的に関わると、一人の中で利用できる知識やものの見方が増える。それらを状況に応じて切り替え、翻訳し、組み合わせることができれば、情報共有や柔軟な発想に役立つ可能性がある。
一方、次のようなことは証明されていません。
「経験が多いほど、必ず創造的になる」
「趣味や職歴が多い人ほど、能力が高い」
「個人内多様性が高ければ、幸福になれる」
「個人内多様性があれば、多様な人々や専門家は必要ない」
「個人内多様性」という概念全体を一つの尺度で測り、それを高めると人生のあらゆる成果が向上すると示した研究は、少なくとも現在の主要研究には見当たりません。
関連する複数の研究が、それぞれ部分的な仕組みを支持しているというのが、正確な位置づけです。
一人の中で、異なる世界を対話させる
イントラパーソナル・ダイバーシティとは、たくさんの肩書を持つことでも、何でもできる人になることでもありません。
一人の中に、複数の経験、役割、価値観、思考方法があることを認め、それらを必要に応じて呼び出せることです。
そして、その本当の価値は、異なる世界をただ保存していることではなく、それらの間に橋を架けられることにあります。
専門家としての自分と、生活者としての自分。
論理で考える自分と、感情を感じる自分。
安定を求める自分と、変化を求める自分。
過去に成功した自分と、現在は違う方向へ進みたい自分。
どちらかを偽物として消す必要はありません。
それぞれが見ているものを聞き、そのうえで、いま何を選ぶかを決めればよいのです。
個人内多様性のある人とは、内面に矛盾がない人ではありません。
むしろ、複数の見方を持ちながら、それらに振り回されず、必要なときには対話させられる人です。
新しい経験を次々に増やさなくてもかまいません。
これまで生きてきた中で得た仕事、家族、趣味、失敗、成功、出会い、違和感。その一つひとつを、現在の自分の中でつなぎ直していく。
そのとき、過去の経験は単なる履歴ではなく、これからを考えるための知恵に変わります。
イントラパーソナル・ダイバーシティとは、自分の中を複雑にすることではありません。
すでに自分の中にある複数の世界を見つけ、それぞれを必要な場所で生かせるようにすること。
それが、この考え方の核心です。
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