2026/02/17

健康講座967 【名もなき英雄たち】 糖尿病医療を静かに変えてきた4つの物語 ― 研究室の外で起きた、本当のイノベーション ―

 




はじめに

糖尿病の歴史というと、私たちはつい「偉大な発見者」や「ノーベル賞級の研究者」に目を向けがちです。
インスリンの発見といえば、フレデリック・バンティングチャールズ・ベストJ.J.R.マクラウド などの名前が必ず挙がります。

しかし、2026年の Diabetes Care に掲載されたこの論文は、あえて問い直します。

「本当に糖尿病医療を前に進めてきたのは、研究者だけだったのか?」

この論文が光を当てるのは、
**名前も記録もほとんど残っていない“4つの存在”**です。

  • 作家として有名だが、糖尿病患者としての顔は忘れられてきた人物

  • たった一言の問いで医療を変えた妊婦

  • 実験でも患者でもない「動物」

  • 膨大なデータとしてのみ扱われ、声を失った人々

ここには、「糖尿病医療は共同作業である」という、非常に重要なメッセージが込められています。


第1章|キャンペーナー

― 糖尿病患者は「管理される存在」ではない ―

この章の主人公は、SF作家として世界的に有名な
H.G.ウェルズ です。

■ 意外な事実

ウェルズは60代半ばで糖尿病(現在でいう2型糖尿病)と診断されました。
この事実は、彼の伝記ではほとんど触れられていません。

しかし彼は、糖尿病をきっかけに、ある行動を起こします。

■ 世界初級の「患者主体の団体」

1935年、彼は**British Diabetic Association(現在の Diabetes UK)**の設立に深く関わります。

この団体の革新性は、
👉 「患者自身が、運営と意思決定に関わる」
という点にありました。

当時の医療では、

  • 患者は「管理される存在」

  • 自己判断は危険

  • 医師がすべて決める

という考えが支配的でした。

しかしウェルズは、こう主張します。

糖尿病患者は、精神的にも道徳的にも障害されていない。
意志と知性によって、自ら健康を維持できる存在だ。

これは、後の

  • 自己血糖測定

  • 自己注射

  • 患者教育

  • 患者参画型医療

の思想的土台となりました。


第2章|ザ・ペイシェント

―「なぜ、家ではできないの?」という一言 ―

1975年、ロンドン。
妊娠26週の糖尿病患者が、低血糖による痙攣を起こします。

医師の判断はこうでした。

「出産まで、入院してください」

当時は、

  • 尿糖測定が主流

  • 妊娠中は血糖変動が激しい

  • 在宅管理は危険

と考えられていたからです。

■ 彼女の質問

この女性は、こう問い返します。

「なぜ、これを家でやってはいけないの?」

この一言が、歴史を変えました。

■ 在宅血糖測定の始まり

医師の一人が賭けに出ます。
指先穿刺と Dextrostix + Eyetone を使った自己血糖測定を教え、自宅に返したのです。

結果は――

  • 血糖コントロール良好

  • 入院回避

  • 正期産で健康な出産

これをきっかけに、
妊婦 → 網膜症患者 → 一般患者へと
自己血糖測定が一気に広がっていきます。

■ 医師たちの本音

論文には、当時の医師の驚きが正直に書かれています。

「問題の多かった若年患者が、
数週間で安定した“良い患者”になった」

ここで重要なのは、
患者が“信用された瞬間”、行動が変わった
という点です。


第3章|テスト・サブジェクト

― インスリンの“怖さ”を教えてくれた存在 ―

この章の主人公は、人間ですらありません。
名前も記録もありません。

■ 舞台は1920年代トロント

新薬インスリンの講演会。
聴衆の前で、1匹の白いウサギに大量のインスリンが注射されます。

結果――

  • 重度低血糖

  • 痙攣

  • 昏睡

講演者は慌ててブドウ糖を注射しますが、最初は失敗。
床に薬剤が漏れていたのです。

2回目でようやく回復。

■ このウサギが示したもの

この出来事は、2つの真実を突きつけました。

  1. インスリンは命を救うが、同時に危険も生む

  2. 低血糖は「医原性疾患」になり得る

犬の実験は有名ですが、
この“無名のウサギ”は、
「慢性疾患としての糖尿病」という新しい時代の始まりを、体で示した存在でした。


第4章|ザ・データセット

― 声を奪われた人々の40年 ―

最後の章は、個人ですらありません。
**「データ」**です。

■ アキメル・オオダム族

アメリカ・アリゾナ州。
川を堰き止められ、伝統的農業を失った先住民族。

生活様式の激変後、
彼らは世界最大級の糖尿病疫学研究対象となります。

  • 1965年から40年以上

  • 5歳以上ほぼ全住民

  • 血液・尿・生活情報

これが有名な Pima Indian Diabetes Dataset です。

■ 得られた知見

  • 妊娠糖尿病の世代間影響

  • 生活環境の重要性

  • 単一の「倹約遺伝子」は見つからなかった

■ しかし…

研究は続いたのに、

  • 糖尿病有病率は改善せず

  • データはAI訓練や全く無関係な用途に再利用

  • 当事者への還元はほぼなし

結果、彼らは研究参加を拒否するようになります。

データは残ったが、人は置き去りにされた

という、非常に重い教訓です。


Aまとめ|この論文が伝えたい5つのこと

A1. 糖尿病医療は「共同作業」である

研究者だけでなく、
患者・家族・動物・コミュニティすべてが関わっている。

A2. 医療の進歩は「研究室の外」で起きる

一言の質問、在宅での実践、体験の共有が流れを変える。

A3. 患者を信頼すると、医療は進化する

管理ではなく、主体性が行動を変える。

A4. データには「提供者の人生」がある

匿名化の裏で、声が消えてはいけない。

A5. 予防と公正は切り離せない

科学的知見が、当事者の幸福に還元されなければ意味がない。


おわりに

この論文は、
「誰が最初に発見したか」を競う物語ではありません。

むしろこう問いかけています。

「あなたは、誰の声を聞いて医療をつくっていますか?」

糖尿病医療の未来は、
新薬だけでなく、
患者の問い・生活・尊厳をどう扱うか
にかかっている。

名もなき英雄たちは、今も私たちの足元にいます。


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