はじめに
糖尿病の歴史というと、私たちはつい「偉大な発見者」や「ノーベル賞級の研究者」に目を向けがちです。
インスリンの発見といえば、フレデリック・バンティング、チャールズ・ベスト、J.J.R.マクラウド などの名前が必ず挙がります。
しかし、2026年の Diabetes Care に掲載されたこの論文は、あえて問い直します。
「本当に糖尿病医療を前に進めてきたのは、研究者だけだったのか?」
この論文が光を当てるのは、
**名前も記録もほとんど残っていない“4つの存在”**です。
作家として有名だが、糖尿病患者としての顔は忘れられてきた人物
たった一言の問いで医療を変えた妊婦
実験でも患者でもない「動物」
膨大なデータとしてのみ扱われ、声を失った人々
ここには、「糖尿病医療は共同作業である」という、非常に重要なメッセージが込められています。
第1章|キャンペーナー
― 糖尿病患者は「管理される存在」ではない ―
この章の主人公は、SF作家として世界的に有名な
H.G.ウェルズ です。
■ 意外な事実
ウェルズは60代半ばで糖尿病(現在でいう2型糖尿病)と診断されました。
この事実は、彼の伝記ではほとんど触れられていません。
しかし彼は、糖尿病をきっかけに、ある行動を起こします。
■ 世界初級の「患者主体の団体」
1935年、彼は**British Diabetic Association(現在の Diabetes UK)**の設立に深く関わります。
この団体の革新性は、
👉 「患者自身が、運営と意思決定に関わる」
という点にありました。
当時の医療では、
患者は「管理される存在」
自己判断は危険
医師がすべて決める
という考えが支配的でした。
しかしウェルズは、こう主張します。
糖尿病患者は、精神的にも道徳的にも障害されていない。
意志と知性によって、自ら健康を維持できる存在だ。
これは、後の
自己血糖測定
自己注射
患者教育
患者参画型医療
の思想的土台となりました。
第2章|ザ・ペイシェント
―「なぜ、家ではできないの?」という一言 ―
1975年、ロンドン。
妊娠26週の糖尿病患者が、低血糖による痙攣を起こします。
医師の判断はこうでした。
「出産まで、入院してください」
当時は、
尿糖測定が主流
妊娠中は血糖変動が激しい
在宅管理は危険
と考えられていたからです。
■ 彼女の質問
この女性は、こう問い返します。
「なぜ、これを家でやってはいけないの?」
この一言が、歴史を変えました。
■ 在宅血糖測定の始まり
医師の一人が賭けに出ます。
指先穿刺と Dextrostix + Eyetone を使った自己血糖測定を教え、自宅に返したのです。
結果は――
血糖コントロール良好
入院回避
正期産で健康な出産
これをきっかけに、
妊婦 → 網膜症患者 → 一般患者へと
自己血糖測定が一気に広がっていきます。
■ 医師たちの本音
論文には、当時の医師の驚きが正直に書かれています。
「問題の多かった若年患者が、
数週間で安定した“良い患者”になった」
ここで重要なのは、
患者が“信用された瞬間”、行動が変わった
という点です。
第3章|テスト・サブジェクト
― インスリンの“怖さ”を教えてくれた存在 ―
この章の主人公は、人間ですらありません。
名前も記録もありません。
■ 舞台は1920年代トロント
新薬インスリンの講演会。
聴衆の前で、1匹の白いウサギに大量のインスリンが注射されます。
結果――
重度低血糖
痙攣
昏睡
講演者は慌ててブドウ糖を注射しますが、最初は失敗。
床に薬剤が漏れていたのです。
2回目でようやく回復。
■ このウサギが示したもの
この出来事は、2つの真実を突きつけました。
インスリンは命を救うが、同時に危険も生む
低血糖は「医原性疾患」になり得る
犬の実験は有名ですが、
この“無名のウサギ”は、
「慢性疾患としての糖尿病」という新しい時代の始まりを、体で示した存在でした。
第4章|ザ・データセット
― 声を奪われた人々の40年 ―
最後の章は、個人ですらありません。
**「データ」**です。
■ アキメル・オオダム族
アメリカ・アリゾナ州。
川を堰き止められ、伝統的農業を失った先住民族。
生活様式の激変後、
彼らは世界最大級の糖尿病疫学研究対象となります。
1965年から40年以上
5歳以上ほぼ全住民
血液・尿・生活情報
これが有名な Pima Indian Diabetes Dataset です。
■ 得られた知見
妊娠糖尿病の世代間影響
生活環境の重要性
単一の「倹約遺伝子」は見つからなかった
■ しかし…
研究は続いたのに、
糖尿病有病率は改善せず
データはAI訓練や全く無関係な用途に再利用
当事者への還元はほぼなし
結果、彼らは研究参加を拒否するようになります。
データは残ったが、人は置き去りにされた
という、非常に重い教訓です。
Aまとめ|この論文が伝えたい5つのこと
A1. 糖尿病医療は「共同作業」である
研究者だけでなく、
患者・家族・動物・コミュニティすべてが関わっている。
A2. 医療の進歩は「研究室の外」で起きる
一言の質問、在宅での実践、体験の共有が流れを変える。
A3. 患者を信頼すると、医療は進化する
管理ではなく、主体性が行動を変える。
A4. データには「提供者の人生」がある
匿名化の裏で、声が消えてはいけない。
A5. 予防と公正は切り離せない
科学的知見が、当事者の幸福に還元されなければ意味がない。
おわりに
この論文は、
「誰が最初に発見したか」を競う物語ではありません。
むしろこう問いかけています。
「あなたは、誰の声を聞いて医療をつくっていますか?」
糖尿病医療の未来は、
新薬だけでなく、
患者の問い・生活・尊厳をどう扱うか
にかかっている。
名もなき英雄たちは、今も私たちの足元にいます。
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