「生きがいを見つけたい」
そう思うと、私たちはつい、何か特別なものを探そうとします。
新しい趣味を始める。
資格を取る。
仕事で成功する。
大きな目標をつくる。
老後に打ち込めるものを探す。
けれど最近、生きがいとはそんなに大げさなものではないのかもしれない、と思うようになりました。
むしろ、
生きがいは、新しく作るものではなく、
もともと自分の中にあったものを取り戻すこと。
そんな考え方のほうが、しっくりきます。
子どもの頃は、理由なんて考えなかった
子どもの頃を思い出してみます。
虫を捕まえる。
漫画を読む。
ゲームをする。
絵を描く。
自転車で知らない道へ行く。
友達と意味もなく遊ぶ。
そこに、
「これは将来役に立つだろうか」
「コスパはいいだろうか」
「何時間やれば上達するだろうか」
「他人からどう見られるだろうか」
なんて発想は、ほとんどありません。
ただ、
面白いからやる。
気になるから調べる。
楽しいから続ける。
それだけです。
ところが大人になると、少しずつ外側の物差しが増えていきます。
成績。
学歴。
収入。
肩書き。
出世。
SNSの反応。
効率。
コスパ。
タイパ。
そして気づけば、
「自分は何が好きなのか」よりも、
「何をすれば正解なのか」
を考えるようになります。
大人になると、生きがいを邪魔するものが増える
生きがいがなくなるというより、
もともとあった小さな喜びが、雑音に埋もれてしまう。
そう考えると分かりやすい気がします。
たとえば散歩が好きだったのに、
「健康のために1万歩歩こう」
となる。
読書が好きだったのに、
「年間100冊読もう」
となる。
ブログを書くのが好きだったのに、
「PVを増やそう」
「収益化しよう」
となる。
いつの間にか、楽しかった活動が「成果を出すための手段」に変わってしまいます。
もちろん、数字や目標が悪いわけではありません。
仕事や勉強では、とても役に立ちます。
ただ、それを人生すべてに持ち込むと苦しくなる。
遊びまで仕事のフォームでやり始めてしまうからです。
生きがいは「足し算」より「引き算」
では、どうすればいいのでしょうか。
何か新しいものを足す前に、
自分らしさを邪魔しているものを少し引いてみる。
他人との比較。
「こうあるべき」という思い込み。
過剰な情報。
成果への執着。
SNS。
効率ばかりを求める癖。
それらを少し減らしてみる。
すると、意外と素朴なものが残ります。
「散歩すると気持ちいい」
「この本、もう少し読みたい」
「子どもと遊んでいる時間が好きだ」
「料理していると無心になれる」
「知らないことを調べるのが楽しい」
こういうものです。
生きがいは、遠くにある大きな答えではなく、
すでに日常の中に散らばっている小さな反応
なのかもしれません。
生きがいの「5つの柱」
脳科学者の茂木健一郎氏は、生きがいについていくつかの柱を紹介しています。
難しく考えなくても、次の5つはとても実践的です。
小さく始める
最初から大きな成果を狙わない。5分の読書、短い散歩、ちょっとした料理でもいい。自分を解放する
他人の評価や「こうあるべき」から少し離れる。自分が面白いと思うことを、そのまま面白がる。調和と持続可能性を大切にする
無理をしない。やりすぎない。長く続けられる自分のペースを探す。小さな喜びを拾う
コーヒーの香り、空の色、季節の変化、本の一節。大成功ではなく日常の喜びに気づく。今ここにいる
過去を悔やみすぎず、未来を心配しすぎず、今やっていることに入っていく。
この5つを「達成項目」にする必要はありません。
「今日は5個中4個できた」
などとやり始めたら、またKPIになってしまいます。
もっと軽く、
小さくやる。
無理しない。
今を味わう。
くらいでいいのだと思います。
「学び続けること」は、生きがいになりやすい
年齢を重ねると、仕事や子育てなど、人生のステージは変わっていきます。
若い頃に大切だったものが、ずっと同じとは限りません。
仕事が一番面白い時期もあるでしょう。
家族との時間が最優先になる時期もある。
旅行や園芸、読書が楽しくなる時期もある。
それでいい。
生きがいは一生固定するものではありません。
その中でも比較的長く残りやすいものの一つが、
「学ぶことそのものを楽しむ」
という感覚だと思います。
知らなかったことを知る。
本を読む。
歴史を調べる。
旅先の文化を知る。
映画から別の分野へ興味が広がる。
試験も資格も必要ありません。
「へえ、知らなかった」
という小さなワクワク。
それだけでいい。
学びを「何かの役に立てるため」に限定せず、
知ること自体を遊びにする。
そうすると、年齢に関係なく世界は広がり続けます。
未来を「不安」ではなく「楽しみ」にしてみる
子どもは遠足の前の日にワクワクします。
未来を、
「何が起きるか分からないから怖い」
ではなく、
「何が起きるか分からないから面白い」
と捉えることができます。
大人になると、未来について考える時、
老後。
お金。
健康。
仕事。
どうしても不安が先に出ます。
もちろん現実的な準備は必要です。
でも、全部を予測し、全部をコントロールすることはできません。
だから少しだけ、
「この先、何が起こるんだろう」
と楽しみにする余白を残しておく。
それも、生きがいを守る姿勢なのだと思います。
何もしない日もあっていい
ここは意外と大切です。
生きがいについて考え始めると、
「毎日を充実させなければ」
という新しい義務が生まれることがあります。
でも、それでは本末転倒です。
昼寝する。
漫画を読む。
動画を見る。
ぼーっとする。
何となく一日が終わる。
そんな日もある。
それでいい。
人間は毎日ワクワクしているわけではありません。
休むことまで「有意義」にしなくていい。
生きがいは、毎日100点を取ることではありません。
大切なものは、その時々で変わっていい
若い頃は仕事が大切だった。
今は家族が大切になった。
しばらくしたら、一人で過ごす時間が大切になるかもしれない。
それは「ブレた」のではありません。
人間も環境も変化しているから、優先順位も変わる。
だから、
決める。でも、決めつけない。
今はこれが好き。
今はこれを大切にする。
でも、未来の自分まで縛らない。
そのくらい柔らかくていい。
生きがいは「何者かになること」ではない
社会では、
「何者かになれ」
というメッセージをたくさん受け取ります。
成功する。
結果を残す。
有名になる。
稼ぐ。
でも、生きがいは必ずしもそこにはありません。
むしろ、
何者かになろうとする力を少し抜いた時に、自分が戻ってくる。
好きな本を読む。
家族と笑う。
散歩する。
知らないことを調べる。
気が向いたら何かを書いてみる。
そんな普通の時間の中に、
「自分はこういうのが好きだったんだ」
という感覚が戻ってくる。
生きがいとは、自分に戻る時間
結局、生きがいとは何なのでしょうか。
今のところ、私はこう考えています。
生きがいとは、何者かになるための活動ではなく、
自分に戻れる時間のこと。
面白い。
もっと知りたい。
落ち着く。
またやりたい。
終わったあと、少し元気になる。
そういう小さな感覚を拾っていく。
そして、今の自分に合わなくなったら、また変えればいい。
生きがいは、一度見つけて一生守るものではありません。
人生と一緒に変わり続けるものです。
大きな使命を探さなくてもいい。
まず今日、
自分が少し生き返る時間を一つ持つ。
それくらいからで、十分なのだと思います。
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