2026/09/29

「役に立たなくてもいい」――無用の用から考える、生きがいとこれからの人生

 




「無用の用」

一見すると、役に立たないものにも意味がある。

いや、もう少し踏み込めば、

役に立たないように見えるものの中にこそ、まだ名前のついていない価値が隠れている。

そんな言葉だ。

今の社会は、とにかく「役に立つこと」が好きだ。

仕事なら売上。
学校なら成績。
SNSならフォロワーや「いいね」。
運動なら歩数や体重。
読書なら読んだ冊数。
趣味ですら、資格や収益化につなげたくなる。

何かを始めると、すぐにこう考える。

「それ、何の役に立つの?」

でも最近、この問いそのものが、少し窮屈なのではないかと思うようになった。


ノーベル賞につながった「役に立たない穴」

「無用の用」を研究人生の重要な言葉として語っているのが、京都大学の北川進先生だ。

北川先生は、金属イオンと有機分子を組み合わせて内部に無数の小さな空間を持つ**MOF(金属有機構造体)**の研究で、2025年のノーベル化学賞を受賞した。ノーベル賞

この研究の面白いところは、まさに「穴」にある。

普通、材料をつくるなら、ぎっしり詰まっていた方が丈夫そうに思える。

穴なんてない方がいい。

ところが北川先生は、その「何もない空間」に注目した。

もともとは磁性体や電導体をつくろうとしていたが、思うようなものができなかった。そこで、邪魔だと思われていた隙間を「失敗」と見るのではなく、この空間そのものを使えないかと発想を変えたという。Enago

すると、その穴の中に気体分子を入れたり、取り出したりできることが分かってきた。

現在ではMOFは、二酸化炭素の回収、水の捕集、ガスの貯蔵、化学反応などへの応用が研究されている。ノーベル財団も、MOFの大きな可能性としてこうした用途を挙げている。ノーベル賞

つまり、

「邪魔な隙間」だったものが、「機能のある空間」に変わった。

北川先生自身も、「穴」を役に立たないものと決めつけず、見方を変えることが「無用の用」だと語っている。ログミー

この話は、科学だけの話ではないと思う。

人生にも、よく似た「穴」がある。


人生にも「役に立たない時間」がある

ぼーっとする。

散歩する。

漫画を読む。

ゲームをする。

知らない街を歩く。

温泉に入る。

子どもとくだらない話をする。

興味の赴くまま本を読む。

一見すると、何も生産していない。

履歴書にも書けない。

お金にもならない。

社会的な評価も増えない。

でも、そういう時間のあとに、

「ああ、今日は良かったな」

と思うことがある。

逆に、一日中ものすごく生産的に働いて、数字も出して、人にも評価されたのに、

「何か疲れたな」

しか残らない日もある。

ここに面白い逆転がある。

社会的には「有用」な一日が、自分にとっては空虚であることがある。

そして、

社会的には「無用」な一日が、自分にとっては豊かであることがある。


大人になると「存在」より「機能」で評価される

子どもを見ていると、もっと単純だ。

石を拾って喜ぶ。

虫を追いかける。

意味もなく走る。

同じ遊びを何度もする。

「それをやって将来どうなるの?」

なんて考えていない。

ただ面白いからやる。

ただそこにいるだけで、周囲から存在を喜ばれる。

ところが大人になるにつれて、

「何ができるか」

「どれだけ稼ぐか」

「どれだけ成果を出したか」

「どれだけ役に立つか」

で測られることが増えていく。

もちろん、社会を動かすにはある程度必要だ。

問題は、その物差しを自分自身にまで24時間向けてしまうことだと思う。

仕事ができない自分には価値がない。

成果を出せない自分には価値がない。

何もしていない時間は無駄だ。

そうなると、人間はいつの間にか自分自身を「道具」として扱い始める。

これが行き過ぎれば、疲れるのは当然だ。


生きがいは「役に立つこと」とは少し違う

動画の中では、生きがいについてこんな5つの要素が紹介されていた。

小さな喜び、小さく始めること、今ここにいること、自分を解放すること、そして調和と持続可能性。

どれも、巨大な成功とは関係がない。

むしろ逆だ。

朝のコーヒーがおいしい。

少し歩く。

好きな本を読む。

誰にも評価されないことをやってみる。

家族と食卓を囲む。

一人で静かに過ごす。

そうした小さな時間の集合で人生はできている。

生きがいというと、つい、

「人生を懸けられる巨大な使命を見つけなければ」

と思ってしまう。

でも、そんな大げさなものではなくてもいいのかもしれない。

自分の中で、少し生命が動くもの。

それで十分なのだと思う。


「何者でもない自分」を残しておく

大人になると、いろいろな服を着る。

会社員。

医師。

経営者。

親。

夫婦。

専門家。

管理職。

どれも社会生活には必要な役割だ。

でも、それは自分そのものではない。

モンテーニュ風に言えば、社会の中で着ている「衣服」に近い。

役割を全部脱いだあと、

「では自分は何が好きなのか」

と聞かれて、答えられなくなることがある。

だから時々、

何者でもない時間

が必要なのだと思う。

役に立たなくていい。

成果を出さなくていい。

誰にも見せなくていい。

ただ面白い。

ただ好き。

ただ心地いい。

そういう部分を完全に消してしまわない。

これは怠けではなく、むしろ自分を守るための余白なのかもしれない。


「歴史の終わり幻想」にも注意したい

もう一つ面白い考え方がある。

人間は、

「昔の自分はかなり変わった」

とは思えるのに、

「これからの自分もかなり変わる」

とはなかなか思えない。

心理学ではこれを**「歴史の終わり幻想」**と呼ぶ。

40歳になると、

「自分はこういう人間だ」

と思う。

50歳になると、

「もう今さら変わらない」

と思う。

しかし脳には可塑性がある。

新しい経験をすれば、新しい回路が使われる。

繰り返せば、その回路が少しずつ使いやすくなる。

だから、

今の自分は完成品ではない。

以前は競争が好きだった人が、静けさを好きになるかもしれない。

仕事中心だった人が、家族との時間を一番大切にするようになるかもしれない。

逆に、のんびり生きていた人が、50歳から何かに猛烈に夢中になることもある。

人間は変わる。

だから、

「昔の自分はこうだった」

という事実を、

「これからもこうでなければならない」

という契約にする必要はない。


過去を否定する必要もない

ここも大事だと思う。

価値観が変わると、

「あの頃は間違っていた」

と思いたくなる。

でも、そんな必要もない。

その時には、その「神」が必要だったのだ。

成績。

仕事。

肩書。

お金。

評価。

成功。

それらを追いかけたからこそ、見えたものもある。

やり切ったから、

「これは自分にとって一番ではなかった」

と分かることもある。

遠回りだったとしても、

遠回りしたから分かった景色がある。

だから過去は否定するのではなく、

卒業すればいい。


北川先生の「穴」は、人生の余白にも似ている

MOFの話に戻る。

材料の中に「空間」がある。

普通なら、

何もない。

無駄。

弱点。

そう見える。

しかし、その空間があるからこそ、分子が入れる。

変化できる。

新しい機能が生まれる。

人生も同じかもしれない。

予定をびっしり埋める。

仕事をびっしり入れる。

情報をびっしり詰める。

目標をびっしり置く。

それでは、新しい何かが入ってくる「穴」がない。

だから、

余白は欠陥ではない。

何もしていない時間。

次を決めていない期間。

迷っている時間。

ぼんやりしている時間。

それらは外から見ると「無用」に見える。

でも、その空間があるから、

新しい本が入ってくる。

新しい人と出会う。

新しい趣味を始める。

新しい自分が出てくる。

北川先生が「空間は機能の宝庫」と捉えたように、人生の余白もまた、まだ使われていない可能性の場所なのかもしれない。KURENAI


「何の役に立つの?」を少し減らしてみる

これから何かを始めるとき、

すぐに、

「意味があるか?」

「得になるか?」

「収益化できるか?」

「将来につながるか?」

と考えなくてもいい。

代わりに、

「面白いか?」

と聞いてみる。

あるいは、

「なぜか気になるか?」

でもいい。

役に立つかどうかは、ずっと後にならないと分からないことも多い。

北川先生の研究も、もともとは狙って現在のMOF産業を作ろうとして始まったわけではなかった。思うような磁性体や電導体にならなかった材料を、別の視点から見直したところから道が開けている。Enago

人生も似たものなのだと思う。


人間そのものにも「無用の用」がある

最終的には、ここに戻ってくる。

人間は、

役に立つから価値があるのではない。

稼ぐから価値があるのでもない。

成果を出すから価値があるのでもない。

もちろん仕事では役割がある。

社会では責任もある。

でも、それが人間の価値のすべてではない。

役に立たない時間。

役に立たない遊び。

役に立たない好奇心。

役に立たない遠回り。

役に立たない自分。

その中にこそ、

「生きている感じ」

が残っていることがある。

だから時々、

何の役にも立たないことをしてみる。

ただ歩く。

ただ読む。

ただ遊ぶ。

ただ家族といる。

ただぼんやりする。

そして、

「これ、何の役に立つんだろう?」

と思ったら、

少しだけこう考えてみる。

役に立たなくても、別にいいじゃないか。

むしろ、

まだ役割が決まっていないからこそ、そこには可能性がある。

北川先生の「穴」と同じだ。

何もない空間は、

空っぽなのではない。

何かが入ってこられる場所なのである。

そして人生の後半には、そんな「穴」を少し多めに残しておくくらいが、ちょうどいいのかもしれない。

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