何も予定のない休日。
仕事もない。急ぎの用事もない。誰かに会う必要もない。
本来なら自由な時間のはずです。
ところが、しばらくすると何となく落ち着かなくなる。
スマホを見る。SNSを開く。動画を見る。買い物をする。仕事のことを考える。株価を見る。
別に必要があるわけではありません。
ただ、何もしないでいるのが少し苦しい。
17世紀の思想家ブレーズ・パスカルは、この人間の性質をかなり鋭く見抜いていました。
彼の有名な考えを簡単に言えば、
「人間は、部屋で静かにしていられないから苦しむ」
というものです。
なぜ退屈すると落ち着かなくなるのか
パスカルは、人間が嫌っているのは単なる「暇」ではないと考えました。
静かになると、自分自身について考えてしまうからです。
このままでいいのか。
将来どうなるのか。
自分は何のために生きているのか。
いつか死ぬ。
こういうことを考えるのは、少し重たい。
そこで人は、何かに夢中になることで、自分自身から目をそらします。
パスカルはこれを**「気晴らし」**と考えました。
現代なら、SNS、ゲーム、仕事、買い物、投資、飲み会、動画、旅行などでしょう。
もちろん、これらが悪いわけではありません。
問題は、
本当にそれをやりたいからやっているのか。
それとも、静かにしているのが嫌だからやっているのか。
ということです。
「ウサギ狩り」は魚釣りと同じ
パスカルには有名な「狩り」の話があります。
人はウサギを追いかけて狩りをする。
では、本当に欲しいのはウサギなのでしょうか。
もしウサギそのものが欲しいだけなら、誰かが捕まえたウサギを渡してあげればいい。
でも、それでは面白くない。
本人は自分で山に入り、探し、追いかけ、捕まえたいのです。
これは魚釣りで考えると、とても分かりやすい。
魚が食べたいだけなら、スーパーで魚を買えばいい。
しかも、スーパーのほうが早いし、確実です。
それでも釣り人は海や川へ行く。
何時間も待つ。
釣れないこともある。
それでも楽しい。
なぜなら欲しいのは魚だけではなく、
「魚を釣る」という時間そのもの
だからです。
つまり、
結果より、追いかけている時間が楽しい。
パスカルは、人間の多くの行動もこれに似ていると考えました。
お金も仕事も「魚釣り」になる
たとえば、
「もっとお金が欲しい」
と思う。
もちろん生活のためにお金は必要です。
でも十分なお金があっても、もっと増やしたくなることがあります。
そのとき、本当に欲しいのはお金だけでしょうか。
もしかすると、
資産が増える。
数字が動く。
勝ったり負けたりする。
次はどうなるか考える。
そういう追いかけている時間の刺激が欲しいのかもしれません。
仕事も同じです。
「早く暇になりたい」
と言っていた人が、いざ暇になると落ち着かなくなり、また新しい仕事を始める。
もしかすると仕事そのものより、
何かに追われている状態のほうが、自分について考えなくて済む
からかもしれません。
SNSのフォロワー数でも同じです。
100人になったら200人。
1000人になったら2000人。
ゴールが来ません。
ウサギが変わっているだけで、ずっと狩りを続けている。
パスカルは、こうした人間の姿を見ていました。
では、何もしないほうがいいのか
ここは誤解しやすいところです。
パスカルは、
遊ぶな。
働くな。
趣味を持つな。
と言っているわけではありません。
魚釣りが本当に好きなら、魚釣りをすればいい。
仕事が好きなら、仕事をすればいい。
大切なのは、
それを楽しんでいるのか。
それとも退屈から逃げるためにやっているのか。
という違いです。
退屈は、自分を見る時間でもある
現代は退屈をほとんど消せる時代です。
数分暇になればスマホがあります。
動画もSNSもニュースもゲームもあります。
だから、静かな時間は意識して作らないとほとんど残りません。
でも、散歩しているとき。
風呂に入っているとき。
一人でぼーっとしているとき。
本を読んでいるとき。
そんな時間に、
「最近ちょっと疲れているな」
「本当はこういうことが好きなんだな」
「これはもう無理してやらなくていいかも」
と気づくことがあります。
退屈は必ずしも敵ではありません。
自分の声が聞こえてくる余白
でもあります。
パスカル本人の答えは「神」だった
パスカル本人はキリスト教徒でした。
彼は、お金や名誉や娯楽では、人間の心を完全には満たせないと考えました。
そして最終的には、神への信仰に答えを求めました。
現代の日本人には、ここは少し遠く感じるかもしれません。
ただ、宗教をいったん外して考えるなら、かなり参考になる部分があります。
それは、
退屈をすぐ刺激で埋めず、一度自分の内側へ戻る
ということです。
散歩する。
読書する。
瞑想する。
自然を見る。
家族とゆっくり過ごす。
日記を書く。
ぼーっとする。
その時間に、
「自分は本当は何を大切にしたいのだろう」
と考えてみる。
これだけでも、延々とウサギを追いかける生活とはかなり違ってきます。
「何が欲しいか」より「なぜ欲しいか」
パスカルの話を現代で使うなら、問いはとてもシンプルです。
「何が欲しいのか?」
だけではなく、
「なぜ、それが欲しいのか?」
と一度考える。
お金が欲しい。
なぜ?
SNSを見たい。
なぜ?
仕事を増やしたい。
なぜ?
投資をしたい。
なぜ?
本当にそれが好きだからなのか。
それとも、退屈や不安から逃げたいからなのか。
答えは毎回違っていい。
ただ、この問いを一つ挟むだけで、自分の行動が少し見えやすくなります。
おわりに
パスカルが生きた時代には、スマホもSNSもありませんでした。
それでも彼は、
人間は何かを追いかけていないと落ち着かない
という性質を見抜いていました。
ウサギ。
お金。
仕事。
名誉。
フォロワー。
投資。
時代によって獲物が変わるだけなのかもしれません。
だから、ときどき狩りをやめてみる。
何も追わない時間を作ってみる。
そして自分に聞いてみる。
「私は本当にこれが欲しいのか。
それとも、ただ退屈から逃げたいだけなのか。」
パスカルの「退屈」の話は、結局そこに戻ってくるのだと思います。
魚を買えば済むのに、それでも釣りに行きたい。
そのとき自分は、本当は何を求めているのか。
そこを考えることが、パスカルを読む面白さなのだと思います。
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